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僕だって生きづらかった。【少々まじめ話】
2024-2025年の年末年始は
少し内省する時間を持つことができ、
私がこの「note」での発信を始めることに決めました。
noteでの発信を始めることにしたきっかけや
発信を通じて叶えたい夢?みたいなことを
書き残しておきたいと思います。
世の中の「生きづらさ」を軽くしていきたい
世の中の「生きづらさ」を抱える方全員を救う。
というのは流石に難しいですが、
このnote発信を通じて世の中を
少しでも明るく照らせたらなと思っています。
原体験は20歳の頃に感じていた生きづらさ
こう考えるのには理由・原体験があります。
かなり前の話にはなってしまいますが、
私は大学生の時に世間や周囲に対する
「こうあるべき」が強すぎて、ひどく悩んでいました。
大学生になった途端に崩壊する倫理観。
出席票だけ提出して出ていく学生、飲酒の強要、歪な異性関係。
「世の中は綺麗である」「人間は理性的である」
というメガネで世の中を見ていた私には耐え難い光景でした。
「人間は倫理的で理性的であるべき」と、
正論という名の「毒」を周囲に吐いていました。
結果として自分自身が周囲にとっての「毒」になっていた気がします。
(この時の経験から「正論は毒になる」というのが自論です)
乗り越えるきっかけ
正論で周囲を責め続けていた私でしたが、
ある時、周囲にいるほとんどの人間が
自分にとっての「敵」になっていることに気づきました。
「もしかして、マイノリティ(少数派)は自分…?」
このことに気づいた時、背筋が凍りました。
このままだと私は社会で生きていけない。
自分を変える必要性を認識し、自己変革が始まりました。
ただ、当時まだ20歳とはいえ、自分を変えることは生半可ではなく
辛い日々だったことを今でも覚えています。
リフレーミングという概念との出会い
大学の心理学の講義で「リフレーミング」という概念と出会ったことが
自身を変えるきっかけになりました。
ここからは非常に話が長くなるので、
詳細はまた別の機会があれば
そちらに譲ろうかと思いますが、
自分が「敵」だと認識していた人たち
周囲に毒を吐いてしまう「自分」
そんな自己形成に大きく関わった「親」
全てを許せるまで、様々な観点で捉え直し続けました。
許すというより、そういうモノなんだなという「受容」に近いと思います。
約1年間ほど自分に向き合い続けた結果、
自分の心の中に「怒り」の感情が
ほとんどなくなっていることに気がつきました。
霧が晴れて、青空が一面に広がるような感覚。
「人生ってこんなに希望に満ち溢れてるんだな」
と自分のこれからにすごくワクワクしたことを今でも覚えています。
考え方が変われば、生き方も変わる
医学的な見解は精神科医の皆様に
お任せするとして、
今生きづらさを抱えている方々も
自分の「認知」の癖に気付き、
少しずつでいいので周囲を、家族を、自分を
「受容」していければ、生きやすくなっていく
のかなと自分の体験から考えています。
本当に悩んで辛くて苦しい時には
精神科医・カウンセラーに迷わず相談に
行ってほしいなと思いますが、
私は違う形で世の中の「生きづらさ」を
軽くしていけたらなと思っています。
ちょっと心が軽くなる話をお届けしたい
少し大袈裟な話が続きましたが、
このnoteを通じては特に心に関する話を
取り上げたいとかそういうことではありません。
今となっては自他認める楽観主義者となった
私の視点で世の中を切り取り、
ちょっと心が軽くなるお話をお届けしたい。
ただそれだけです。
気楽に発信はしていきたいですが、
「なぜ自分は発信するんだろう」という
自問に対する回答として今回の記事を
書かせていただきました。
ぜひこれからもご覧いただけると大変喜びます。