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#変わりたくない自分

ふとしたときに思ったこと、考えたこと、感じたことをポツポツとつぶやきます。
おむすび(私)の具(頭の中)という意味です。


学校に行かず、1日部屋着で寝ている毎日。
定期的にドカ食いをして落ち込んで自分を責める。

無駄に食料を大量に消費して何も世界に貢献していない私。

「これじゃあダメだ」
「変わらなくちゃ」

常にそんな思いがあって、機会があればなるべく外に出てコミュニティに入るようにしていました。
動かないことには何も変わらないから。


今日も今日とて過食。

お腹が痛くなるくらい、気持ち悪くなるくらい、家にあるお菓子全種類を食べ尽くして。
胃の中のものが戻ってこないように堪えることぐらいしかできなくなって机に突っ伏しました。
お菓子だけでなく、罪悪感、後悔、恥ずかしさ、自己嫌悪でいっぱいのお腹。
ぐるぐるぐるぐると渦巻いて存在を主張してくる。
いらないものまでを溜め込んで膨らんでいく。

「もうこんなことやめたいはずなのに、どうしてやめられないんだろう」

ここで、ふっと湧いてきた自分の声がありました。

「変わりたくない」
「治りたくない」


ちょっと気持ちが落ち着いてから考えてみました。

「私は、本当に変わりたいと思っているのだろうか」

楽をして、努力もせず、ただただ時間を水に流しているような生活を送っている自分。
そんな人間は世間から見るときっと価値がない。
だからずっと“変わらなきゃ”と思ってた。

そう、

周りの評価から生まれた考え

だったってことに気づいたのです。

自分自身の考えだけではなかった。


じゃあ、と思い私自身の声に耳を傾けてみることにしました。


「このままなら家族に心配してもらえる」
「何もしなくて済む」
「一度こうなってしまったら、もう治らないんだ」
「どうせこんな私じゃ“普通”には生きていけないんだ」

変わりたくない私がいっぱいいました。

でも、それだけじゃない。

「体調、気持ちのせいで予定をドタキャンすることがなくなったら、どんなに自由なんだろう!」
「いろんな経験をしてみたい」
「楽しいや嬉しい、幸せを何も気にせず心の底から感じたい」
「愛して、愛されて、満ち足りた人生を送ってみたい」

変わりたい私だってちゃんとそこにいました。


どっちも“本当の私”。

だから“変わりたくない私“も“変わりたい私”も否定しません。


“変わりたくない私”へ。
今まで無視してごめんなさい。
とっても傷ついたよね。

“変わりたい私”へ。
希望を大切に守ってくれてありがとう。
おかげで今日も生きていられるよ。


ただ、死ぬことができない限り、最終的に幸せになるための道は“変わりたい私”を応援することの方にあるんだと思う。

そこで、改めて決意します。

「変わらなきゃ」

ではなく、

「変わりたい」

で生きていくことを。

私自身が“変わること”を選び、責任を持つことを。

私の心の平穏のために。
光り輝く未来のために。
同じ思いをしている誰かの希望になるために。


きっとこう決意した次の瞬間から、また思いを揺さぶられるようなことが起こる。
迷っちゃっても、折れちゃってもいい。
けど、必ずここに帰ってくることを自分との約束にしたいと思います。

いつか、明日が楽しみになる日々が送れますように。