J. S. bach やその後の時代の平均律受容の可能性について (音律史について自分で調べたことのまとめ-4)

 以下はyoutubeのコミュニティに投稿した複数の文章をほとんどそのままコピペしたものです。私は研究者ではありませんし、音楽もしていません。情報元はほとんどネット上の論文です。できるだけ18世紀、19世紀当時の直接的な記述を探すようにはしています。
 言いたいことは、情報元を確認してほしい、ということです。そして、芸術的解釈と、厳密な音楽史の研究は区別して、どこからどこまでが確実に言えて、どこからは推測なのかをはっきりする必要があります。私はもう音律関係のことを漁るのには満足しましたし、何かこの記事にコメントがあったとしても返すかどうかはわかりませんが、もし何か音律史についてこの記事のようなてきとうなものではなく、きちんとした主張をしたいのならば、ドイツ語の書籍をあさったり、当時の書籍や書簡をあさったりする必要があるかと思います。私はこうしたことをしませんでしたが、研究したい場合、できることです、ぜひそうしてください。

 JSbachやその後の時代の平均律受容について。 また、このまとめからです。

18th century quotations relating to J.S. Bach’s temperament https://www.huygens-fokker.org/docs/Kroesbergen_Bach_Temperament.pdf

これの42, 43ページの、Johann Samuel Petriという人が書いた1782年の文章です。

"Meanwhile Johann Sebastian Bach in Leipzig invented the true art of playing the keyboard and distributed his Partitas by printing them. Now Germany and France played like Bach, and in England Handel also showed how to use a keyboard instrument. Though the composers mentioned previously did not really need a ‘reine Temperatur’, for Bach in Leipzig with his profound and unexpected modulations into hitherto unused keys it became truly indispensable. Now it became obvious that the best keyboard instruments were unusable because of their un-equal temperament, even the beautiful organs by Silbermann were tuned wrongly. "
翻訳: 『その一方、LeipzigのJSbachは鍵盤を演奏する真の技術を発展させ、パルティータを出版した。今やドイツもフランスもバッハがしたように弾き、EnglandのHandelもまた、どう鍵盤楽器を使うかを示した(訳注:1780年にヘンデル考案とされる不等律のwell-temperamentが出版されたらしい。ここは後に調べてみようと思う)。以前まではどの作曲家もreine Temperatur(訳注: Pure temperamentという意味、後述の通り、平均律のこと)は実際必要ないと言っていたが、Leipzigのbachの見出した深遠で、予想だにしたい前例のない調への転調により、reine Temperaturは欠かせないものとなった。今や明らかなのは、どれだけ良い鍵盤楽器であっても、不等律では用をなさないということだ、Silbermann(訳注: 1/6 meantone temperamentのようなミーントーンを使用していたとされる)の美しい音色のオルガンですら、音が外れているように聞こえる。』

で、このreine Temperaturが何なのかについても書いていて。

"12 fifths equally tempered, by ear"

ということで、平均律のようです。前回取り上げた、Barthold Fritzが耳による平均律調律の提案者として引用されています。
 ここでの重要なことは2つあります。1つは、bachが亡くなってから30年ほどは経っているものの、当時も bach = 平均律 という考えの人がいたということ、もう1つは、reine=pureという単語で平均律を指す場合があった、ということです。これらのことや前の複数の投稿で挙げた事柄を考えると、やはりDas Wohltemperierte Klavierも平均律を指していた可能性は否定できないのでは、と思います。そしてやはりTürkの記述や当時の調律指南書の状況からもうかがえる通り、当時(だいたいモーツァルトの時代)のドイツ、オーストリアは平均律が主流であったのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?