モーツァルトの弟子フンメルが記述する平均律
Thomas McGearyの当時(1756~1839)のドイツ・オーストリアの調律指南を22個調べた論文によれば、モーツァルトの時代にはすでにドイツ・オーストリアにおいて平均律が主流になっており、ミーントーンの記述は音楽家ではないChristian F. G. Thonにより1817年、1/4SCが記述されたぐらいで、ほとんどないに等しい状態でした(キルンベルガー2法がまあまあ広がっていたことも示されます。F. G. Thonも当時実際広まっていたのは平均律と、キルンベルガー2であると記しています)。
German-Austrian Keyboard Temperaments and Tuning Methods, 1770-1840: Evidence from Contemporary Sources
Thomas McGeary
https://www.academia.edu/32589515/German_Austrian_Keyboard_Temperaments_and_Tuning_Methods_1770_1840_Evidence_from_Contemporary_Sources
しかしながらドイツ・オーストリアという広いくくりで見ればそうでも、ウィーンではまだミーントーンがあった、などという反論がなくはないかもしれません。これについてモーツァルトの弟子ヨハン・ネポムク・フンメルがArt of playing the piano forte(元はドイツ語だが、英語版のタイトル)において平均律を記述していましたので、ざっと見ただけですが紹介します。
以下のパート3、pdfのページ表示で72ページから
Art of playing the piano forte
ヨハン・ネポムク・フンメルが影響を受けた人物、与えた人物についてはあまりに多すぎ記述しきれないのでウィキペディアをご覧ください。
それでまあ何が書いているかと言えば、ほとんど前回紹介したカールチェルニーと同様で、Aから上方に全ての五度を少し狭く取り、Dまで調律出来たらD-Aが広すぎたり、狭すぎたりしないか確かめる、といった具合です。その前書きでは、Sorge、Fritz、Marpurg、Kirnberger、Vogler(これらは全員well-temperamentの考案者、Kirnberger以外は平均律も記述し、推奨していた。
Fritzについてはこちら
Sorgeはこちら
https://note.com/lucid_hornet1502/n/n6d1ec824db81
Voglerについては上のThomas McGearyの論文を参照)などにより調律法が考案されたが、これらは区別できないし、ピアノの複雑化に伴い時間のかからない簡潔な調律法を使用する必要があると述べています。そしてそれこそが、平均律であるというわけです。
平均律を記述していること、またミーントーンへの記述が存在しないことから、モーツァルトがミーントーンを愛用していたとする、直接的な証拠が不明の主張は怪しいものとなります。またフンメルはハイドンやベートーヴェン、当時著名であった教育者のアントニオ・サリエリなど多数の人々と師弟関係、交友関係を築いていたようで、果たしてウィーンにおいてどれだけミーントーンが残っていたのかというところに、疑問符がつかないことはないでしょう。こののちのベートーヴェンの弟子であったカールチェルニーによる平均律の記述も考えれば、ウィーンにおいてもモーツァルトの時代から平均律が主流であり、キルンベルガー第二法もある程度知名度があったがあまり実用はされなかったというのが、1つの有力な解釈の仕方に見えます。
確かにモーツァルトの音楽はミーントーンと相性がよく聞こえる部分もあり、調性も偏っていることからモーツァルト=ミーントーンと主張したくなる気持ちもわかります。しかし歴史学的にモーツァルト=ミーントーンの仮説を主張するためには、ミーントーンとモーツァルトではC minorなどウルフをまたぎ前衛的な響きになる部分が少なからずあるがそうした響きについて当時の人々の記述は有るか、当時のモーツァルトの時代の活動地域の人々がミーントーンを使用した直接的な痕跡(調律指南書など)はどれだけあるのか、当時の人々がミーントーンも使用していたとして各曲に推奨の音律をほとんど記していないのはどうしてか、モーツァルトは音律について書き残しているのか、書き残していない場合どうして書き残さなかったのか、モーツァルトはまあまあ交友があり弟子も取っているがそうした人々が当時でも後世でもモーツァルトの使用したミーントーン・不等律に言及しているのか、言及していない場合それはどうしてなのか、そこは譲って不等律の可能性があるとしてキルンベルガー法の可能性はないのか、などなど、そう重要でなくはない多くの疑問に答えなければなりません。これらの疑問に自信をもって答えられるほど、私は資料を漁れていません。きちんと研究したい方は、ぜひ当時のドイツ語の書簡や書籍などを覗いてみてください。そして当然のことですが、芸術的にはミーントーンで弾こうが何をしようが自由です。
(モーツァルトが平均律を嫌っていた、とする記述がありますが、出典未確認です。
日本のネット上でずいぶん見かけますが、個人的にだいぶ怪しいと思っています(いくつかの気の利いたサイトでは、"伝聞によると"などといった枕詞がつく)。奇妙なのは、英語などで書かれた海外のサイトや論文では一切こうした記述がみられないこと。
アマデウス・モーツァルトの父のLeopold Mozartは、「ヴァイオリン奏法」(1756年)において、エンハーモニック(異名同音)の関係にある音(C#とD♭など、12平均律などでは同等だが、音の種類を12種類以上、無数に取るシステムでは異なったりする)が1コンマ(大体平均律での0.22~0.24半音)違うと述べており、これは1/6 ミーントーンや55平均律などの音律システムを示唆します。ただしこれは音程を自由に、無数に取れるヴァイオリンでの理想を示したものであること、後に平均律派のダニエル・ゴットロープ・テュルクも『クラヴィーア教本』で鍵盤以外の楽器の音程について似たような記述をしていること、アマデウス・モーツァルトとは1世代分時代が違うことなどに注意が必要です。
テュルクの記述からみるモーツァルトの時代の音律事情
https://note.com/lucid_hornet1502/n/n1e21e2e8f707)