テュルクの記述からみるモーツァルトの時代の音律事情

 ダニエル・ゴットロープ・テュルクのクラヴィーア教本(東川 清一 訳、春秋社)には、平均律の記述があります。それによるとキルンベルガーが純正作曲の技法を発表した1771 ~ 79年頃にはすでに、平均律が主流になっていました。これについての記述は以下のリンクから見られます。
平均律の歴史的位置 坂崎 紀

https://mvsica.sakura.ne.jp/eki/ekiinfo/HPET.pdf

(ちなみにウィキペディアによると、テュルクはJ S bachの孫弟子だそうです)
 で、今回クラヴィーア教本の大本に目を通せたので、他に気になるところをまとめて行こうと思います。主に後ろの補遺の442ページからの記述です。
 まず、全音の1/50にも満たない微小なずれ(= 4 cent未満)に気が付くことは難しいと言及し(文脈的に主に完全五度のずれに言及)、モノコードでも使わなければ完全な純正に調律することは不可能とします。また優れた奏者の合奏であってもこれ以上にずれていることもあるが、気にならないとしています。これがどれだけ正確な記述かは何とも言えないものの、当時の演奏の音程取りの実情をある程度反映しているかもしれません(60ページ辺りではd#とe♭では1コンマ高さが違い、後者の方が高いが、クラヴィーアではこの間の一音しかないことが示されます。このクラヴィーア以外のコンマの記述は、大体1/6 ミーントーンや55平均律と一致します。モーツァルトの父のLeopold Mozartもこうしたバイオリン音程の記述をしています
5つの「等分律」について 横田誠三

一方キルンベルガーは『純正作曲の技法』25ページにおいて、d#とe♭などのエンハーモニックコンマが1コンマとの記述がよく見られるがこれは間違いと断定し、実際には1コンマよりずっと大きいとします。これはキルンベルガーの想定しているシステムが三度を純正に取る純正律(エンハーモニックコンマの違いは1/4SCミーントーンと大体同様)であるためです。しかしながら16ページでは五度や四度の純正の方が三度の純正より重要であり、五度の重視の結果避けられない広い三度が出ることは許容できるとしており、これはどちらかというとピタゴラス音律です。時と場合によって音の取り方は違う、ということでしょう)。
 そしてテュルクは、平均律に調律すると調性格はどうなるのか、という点も言及しています。調性格への意見が一致するどころか、各々バラバラなことを指摘し、このように述べます(いつも通り段落が続くことを……で示します)。

……おそらくわれわれは、いくつかの楽曲から引き出された性格を、その性格を唯一的に所有しているのではないかもしれないあれやこれやの調に割り振っているのであろう。少なくとも私の場合、そのように考えない限り、調の性格についてどうしてこれほど異なった意見が生まれるのか、理解できないのである。

 そしてキルンベルガー音律への言及ですが(ここで言うキルンベルガー音律は巷で2番と言われる、D-A-Eの2つの五度にそれぞれ-1/2 SCコンマの狭い五度を置いたものです。キルンベルガーはこの音律は純正音程が多く、素早い調律が可能としていました)、いくつか問題点を挙げており、まずキルンベルガーが主張する調律がしやすいというのは本当なのかどうか疑問を投げかけます。

……すべての5度を、どの5度も同じ程度に低めになるよう調律するほうが簡単なのだろうか、それともキルンベルガーの第二調整律が要求するように、9つの5度はまったく純正に調律して、後の3つの5度は、いろいろな程度に低めて調律するほうが簡単なのだろうか。……

ここでテュルクが具体的にどの工程に疑問を持っていたのかは完全にはわかりませんが、少なくとも上で述べたように、テュルクは完全な純正を調律するのは不可能と考えていたようです。これは私も疑問を持つところで、完全五度はまだ大丈夫だと思いますが、長三度を純正に取るところが1つ鬼門と思います。というのもAlexander John Ellisなど、実験の結果人間の聴覚を頼りに直接長3度を純正に取るのは難しいと論じている人がいるからです。
"Tuning and temperament : a historical survey" 197ページ

https://ia800508.us.archive.org/29/items/tuningtemperamen00barb/tuningtemperamen00barb.pdf

他にも例えば、プレトリウスは1/4SCミーントーンを記述していますが、長3度の純正を確かめる方法として、長3度ではなく、オクターブ上の10度で確かめた方がずっと純正度合いを聞きやすいと記述しています。

"Syntagma Musicum II: De Organographia, Parts III – V with Index" 155ページあたり
https://digitalcommons.unl.edu/zeabook/24/

少なくともそういう、コツがあるということですね。しかしながら私個人としては、この点は、少なくともキルンベルガー音律愛好者にとっては、問題にならないし、ならなかったと考えます。なぜならばもし完璧な純正にするのが難しいならば、それはすなわち純正とのききわけができないということで、純正として使用できるからです。またもしそれが原因で計算上よりもスキスマの五度やD-A-Eの五度が広くなったり、狭くなったりしたとしても、もともとこうした狭い五度から生じる旋律の凸凹を含んだ音律ですから、平均律ほど調律の誤差が目立ちづらいということもあります(一方平均律は旋律が均等であることで説得力が増す側面があり、調律の凸凹が目立ちやすいように私は感じています)。とはいえ、当時の人々にとって平均律が調律し辛いということが、自明ではなかったし、実際多くの人々が平均律(少なくともそう思っているもの)を使用していたというのは重要な事実です。D-A-Eの五度の調整についても、今もよく議論されるところです。キルンベルガー音律が好きな私からの個人的な意見を申し上げれば、正直多くの人にアピールする万能音律という視点から見れば、ここの部分は擁護のしようがないと思います。というのもどのように調整したところで中々な唸りが両方の5度から聞こえ、しかも他の純正に調律した5度との比較で、唸りが目立つからです。
 2つ目の指摘では、キルンベルガーが述べる伝統的な調性格とキルンベルガー音律との関係に疑問を投げかけます。当時のオルガンは他の楽器とピッチが違っていたりして、オルガンだけ移調して合奏したりしていたが、じゃあこういう場合オルガンはどう調律すべきなのか、と言った疑問から始まり、歴史的にみて、キルンベルガーがこの音律を発表する前の時代の人々がこの音律を元に調律したり、演奏したりしたかどうかにも疑問を投げかけます。キルンベルガーがこの音律において作曲家の意図通りの効果をあげるとしたクラウンの合唱曲を取り上げ、キルンベルガ—が音律を発表した際すでにクラウンは亡くなっていた事実を指摘し、

……それを守ったと考えるには、この合唱がそれを想定して書かれた楽器奏者や歌い手たちはそろって、しかもその変ロ長調の大いなる効果が生まれたとすれば特に、キルンベルガー調整律に従って演奏し、歌わなければならなかったことになろう。しかし誰がこのことを真面目に主張するだろうか。誰かがかつて、キルンベルガーの原則によって調整されたヴァイオリンを聞いたことがあるだろうか。……

と述べます。このところはキルンベルガー以前の音律史を見てもキルンベルガー音律のような音律が広く使用されたり、厳格な純正律にそって演奏されたという話は聞かないので、頷けるところです。
 その後にテュルクは平均律の調律法と、一応とばかりにキルンベルガー音律の調律法を述べます。キルンベルガー音律への反論に紙面を割いたり、調律法を載せたりしているところを見ると、キルンベルガー音律が当時ある程度の話題を作っていたことがわかります。一方でミーントーンへの言及はなく、他の証拠と合わせても、この時代のドイツ・オーストリアで調律替えしていない古いオルガン以外でミーントーンがどれだけ使用されただろうか、というところについては、まあまあな疑問符が付きます。
 しかしながら、最後に以下の記述をします。

 上記以外にも数多くの調律方法がある。というのは、調律する人はほとんどが自分自身の調律方法をもっているからである。調整律と調律方法についてもっと詳しく知りたいと思う読者には、ダランベール、ズルツァー、キルンベルガー、ルソー、ナイトハルト、ヴェルクマイスター、フリッツ、ゾルゲなどの著作の参照を勧めておきたい。

一応ここにわかり辛いものだけフルネームをかきます。Johann Georg Sulzer、Barthold Fritz、Georg Andreas Sorge。

これは、ミーントーン派などの不等律愛好家には希望になります。とはいえ、Kirnberger、Rousseau、Sulzer以外は全員が最終的に(Werckmeisterを含めて!)平均律を好んだことには注意です。そしてこれも重要なところですが、こうした今でも割とマニアックな音律記述家を羅列しているところを見るに、テュルクは相当に文献を漁って、座学勉強をしていたということがわかります。それを踏まえたうえで、上で述べたような主張をしているのです。
(以下の記事を参照、ドイツ・オーストリア以外ではこれほど平均律優位ではなかった点も注意です。)


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