本当に会いたい人とだけ会う
本当に会いたい人とだけ会う
少しでも行きたくないな、
会ったらきっと心が揺れる、乱れる
そう感じるなら断る選択をする。
そして孤独をめいっぱい味わってみる。
外側に向いていた意識を自分自身の内側に戻していく。少しずつ。ほんの少しずつ。
これはわたしの人生を少し豊かにさせた
わたしの体験談。
友達と呼べる人は随分減ったと思う。
学生時代の仲良し◯人組の◯◯グループ
なんてものがわたしにもあるけれど
わたしはその集まりにすら今は行かない。
もう地元を離れているから
何かと理由をつけて断りやすいのが
ありがたいところ。
わたしは何年か前
もう誰かのために生きることも
みんなにとっての"普通"を生きることもやめて
自分を生きよう
そう決めた。
そのときは心して決めていても
何度もゆらぎ、
何度も諦めそうになっているけれど。
そんな中で
大多数が同じ生き方をしているグループのような場所に自分の身を置くことが
いかに自分をブレさせるか
ということを痛感している。
流されやすいわたしだから、
"普通"であることを目標に生きてきたわたしだから、
みんなと同じでなければ
って誰よりも強く思ってしまうわたしだから。
ずっとずっと
孤独にならないように友達と会っていたと思う。
会っても楽しくないにも関わらず。
わたしがいた場所は
仲良しなふりをして
どこか小さな競争が存在した。
「誰が1番幸せか?」というゲームのような。
女子の中にはよくあることだと思う。
仕事とか恋愛とか結婚とか、いろいろ定まらない年頃のせいかな?
とか思ったけれど、
40代、50代になっても、
今度は子供がどこの学校に入ったとか、どこに就職したとか、そんな小さな競争が存在すると人生の先輩女性から聞いたことがある。
わたしはずっと、競争の中にいた。
けれど、それは息苦しくて息苦しくて。
勝つか負けるかのサバイバルは、常に身体を緊張させて、呼吸はずっと浅くて、歯を食いしばって生きていて。
何よりも、そこにあるのは他人の目ばかりで、
自分が何を感じていて、本当はどうしたいのかが全くわからなかった。
長年の癖のような競争の"意識"を捨てることは一筋縄ではいかないけれど、
少なくとも、自分が一緒にいてリラックスできる人間関係は自ら選ぶことができる。
本当に会いたい人とだけ会おうと決めたとき、
わたしはほぼ誰とも会わなくなった。
東京で1人ぐらしをしていた当時、
せっかく人口が多い大都会東京にいるのに、
仕事以外の時間はずっと1人で過ごしていた。
最初は友達の誘いを断ることにもいちいち勇気が必要だった。
「相手を傷つけないためのホワイトライはついて良い嘘だよ」と聞いて、少し気が楽になった。
「あなたと会いたくないから行けません」
なんて言えないし、言う必要もないからね。
だけど不器用なわたしは、
上手な断り方がわからず、
恐らくバレバレの嘘で飲み会やらなんやらのお誘いを断り続けた。
ドタキャンも何度もした。
いつしか誘われなくなっていった。
そのとき初めて、「孤独の恐れ」と向き合ったような気がする。
外側を見れば見るほど孤独の恐れは強まっていく。
そのときにわたしがしていたことは、
・考えないこと
・自分の内側に意識を向けること
・瞑想すること
不思議なもので、
内側に意識を向ければ向けるほど
孤独の恐れはやわらいでいく。
もちろん簡単にできることではないし、
完璧になんてできないしする必要ないけど、
なるべく頑張ろう、やってみようと
努力することはできる。
孤独が怖いからといって
会いたくもない人に会う努力をすることもできるけれど、
どうせ努力をするのならば、
頭の中でごちゃごちゃ考える思考を静かにさせることに努力をしてみるのも良いんじゃないかな、
とわたしは思う。
少し時が経ったとき、1人だけ会いたい友達に気づいた。
たった1人だったけれど、たくさん共感し合えるその友達が、当時のわたしの心をとても助けてくれていたように思う。
会う友達が減っていくと、
わたしは本当はどうしたい?
というのがだんだんと見えやすくなっていったように思う。
周りの知り合いがどんな生き方をしているのかが見えにくくなったことはとても大きかった。
比べる対象がいなくなったのだから。
(ちなみにSNSで友達と繋がることは学生のときから大の苦手で元々ほとんど友達のSNSを見ない&更新しない人だったのでそれも良かったのかも。)
最初はたった1人しか会わなかったけれど、その後、その友達が出会わせてくれた新しい友達とも会うようになり、その新しい友達のおかげで、現在の愛するパートナーに出会っている。
何が言いたいかと言うと、孤独をめいっぱい味わったって、必要な人には必ず出会うから大丈夫。
ということ。
あれから何年か経った今も、
変わらず本当に会いたい人とだけ会っていて、
それがわたしのデフォルトになっている。
だけど、少し変化したこともある。
当時まったく会いたいと思わなくて
もう一生会うことがないだろうと思っていた友達(元親友と呼べるほどとても仲が良かった子)と、ひょんなことから今年会うことになった。
急に誘われてびっくりしたし、それに対して会いたいなと思えた自分にもびっくりした。
生き方も、生活も、すべてが違っていて決して話が合うわけではないけれど、互いの異なる生き方を尊重しあい、決して否定しない、そんなふうに一緒にいられたような感覚。
それは、数年前のわたしたちにはできなかったこと。
たとえ今会いたいと思えなくても、
たとえ今会う友達が0人であっても、
自分を整えて、自分を取り戻せたとき、
時が経って互いに変化したとき、
心の中に余裕が生まれたとき、
また必ず会いたい人が出てくるんだと思う。
そのときは会いたいと思えなくても。
だから、人生の中で
誰とも会わない時を過ごして、
思いっきり孤独を味わって、
1人で過ごす時をたっぷり満喫する
そんな時があるのも
素敵なこと、美しいこと
だとわたしは思う。
そこで感じたことは、
きっと人生の糧になるんだと思う。