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自分を大事にすることの大切さ
第3話 自分へのご褒美の罠
私は長い間、接客の仕事をしていた。
とても楽しくやりがいのある仕事だけれど、ストレスはつきもの
クレーム対応などで疲れとストレスが溜まると
また、オーダー商品の商談が成立した時など、決まって
『自分へのご褒美』と称して洋服やバッグなどを購入したり
ハッピーアワーで1杯なんてことをしばしばしていた
仕事のストレスだけでなく、子育てや地域のコミュニティでの対人関係や登板、役員など日々慌ただしく過ぎていく
「いつも頑張ってるんだから・・・」
「ちょっとくらいご褒美があってもいいよね」
母親業は、やって当たり前、できていなければ家族からの苦情が出る
「誰も褒めてくれないなら、自分で自分を褒めてあげよう」
などと程のいい理由を並べていた
ちょっと自分に甘いかも・・・
とは思いつつも、そうでもしなければ気を晴らすことが出来ないでいた
だけど、それは自分を労わることでも褒めることでも大事にすることでもなかったことをその時の私は全くわかっていなかった
それどころか、自分を労って大事にしていると
おおきな勘違いをしていた
その10年後何が起きているか、当時の私は知る由もなかった
もし仮にそれが自分を大事にしていることなら、私はその後「うつ」にはならなかっただろう
それから更に10年後、高血圧による眼底出血で視野か欠けたり沢山の薬を飲むようにになることはなかっただろう
私がしていたことは、辛い感情:悲しみ・苦しみ・痛み・寂しさなど
をお酒を飲んだり買い物をするなどで無かったことにしようとしていたのだ
もともとお酒が強く酔っ払うことさえよく分からないほど、いわゆる「ザル」だった
お酒の席も好きだし楽しかった
ショッピングモールが職場だから休憩時間も帰りも誘惑が沢山待ち受けている
帰れば、座る暇もなくご飯の支度
本当はそこから抜け出したかったのかもしれない
別に大きな不満があるわけではないと思っていた
子供たちの成長は楽しみだし、かけがえのない存在
今思うと、何もかも1人でやり過ぎてしまった
パートに家事に子育て、PTAに社宅の自治会、子供の習い事や部活の係、それに加えて趣味で息抜きするどころか自分を追い詰めていた
忙しくすることで何も感じないように、辛いことに気がつかないように無意識にしていたのかもしれない
その結果ある時その張り詰めた糸がプツンと音を立てて切れた
「うつ」になった
パーツ理論(IFS:ない的家族システム)で言うファイヤーファイターが沢山いてそうさせていたのだろう
電池切れのオモチャのように動かなくなった私
感覚が無くなるほど自分を追い込んでしまう程、心が壊れていた
そして、心だけではなく体も壊れ出していた
この歳になって、やっと自分自身に本当の意味で目を向け労わることの大切さを学んだ
ここまでならないと分からない自分に呆れるけれど
それでもまだ生きている、ある意味生かされているように感じている
あまりにも自分を蔑ろにしてきた自分をもう1度一から大事にすることを残りの人生で学んでいく必要があるのだろう
ルチア