書籍#11.『名画で読み解くプロイセン王家12の物語』中野京子(著)〜フリードリヒだらけの歴史〜
中野京子氏著『名画で読み解く』シリーズの最新版は『プロイセン王家12の物語』です。前作のハプスブルク家、ブルボン家、ロマノフ家、そして、イギリス王家に引き続き、第5弾の今回はドイツのホーエンツォレルン家が舞台となっています。
ハプスブルク家のような圧倒的存在感、ブルボン家のような煌びやかさ、ロマノフ家のような不気味な秘密主義、そして、イギリス王家のような世界を牽引した女王の存在はありませんが、プロイセン王国の歴史には、それに似合う「質実剛健」的な面白さがありました。
◆ホーエンツォレルン王朝
「遅れてきた帝国、ヨーロッパ地図を塗り変える」
<フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴァイデマン画『フリードリヒ1世』>
(Wikipediaより)
ホーエンツォレルン王朝は、プロイセン公国が「王国」へと格上げされた1701年に始まります。その後、他の領邦を吸収してドイツを一つにまとめると、1871年にはプロイセン国王を皇帝に戴くドイツ帝国を形成しました。
<マックス・コーナー画『ヴィルヘルム2世』>(Wikipediaより)
ホーエンツォレルン王朝は、最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が退位する1918年までの217年間続くことになります。
◆フリードリヒだらけ
本書を読み始める際、プロイセン王国を治めたのがホーエンツォレルン家だとは知らない私が認識していた唯一のプロイセン王が、「フリードリヒ」でした。
しかし実際に読み始めると、むしろプロイセン国王にはほぼフリードリヒしかいないことに気がつきます。
親切にも、本書では歴代王の名とあだ名をまとめてくれています。
初代 フリードリヒ1世(猫背のフリッツ)
2代 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(兵隊王)
3代 フリードリヒ2世(大王)
4代 フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(デブの女誑し)
5代 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世(不定詞)
6代 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世(ひらめ)
7代 ヴィルヘルム1世(白髭王)
8代 フリードリヒ3世(我らがフリッツ)
9代 ヴィルヘルム2世(最後の皇帝)
7代目と9代目のヴィルヘルムに関しても、全名はそれぞれ「ヴィルヘルム・フリードリヒ・ルートヴィヒ・フォン・プロイセン」と「フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトル・アルベルト・フォン・プロイセン」ということで、結局のところ、歴代王全員がフリードリヒというややこしさ。
これだけミドルネームがあるのなら、フリードリヒやヴィルヘルムではない、例えば、ルートヴィヒやヴィクトルを使えばいいのにと思うのは日本人だからでしょうか。
また、あだ名があるからいいではないかと言えなくもありませんが、このあだ名もなかなかのものです。
4代目の「デブの女誑し」は悪意しか感じませんし、それよりもある意味可哀そうだと思うのはフリードリヒ・ヴェルヘルム4世の「ひらめ」です。きっと見た目がひらめっぽいからそういうあだ名になったのだろうと思っていたら、やはり「パッとしない容姿からきた」とのこと。もう一つのあだ名である「玉座のロマンチスト」よりも「ひらめ」の方が浸透し、そして何よりも、それ以上に認められている功績がないということが国王としては最も悲しいのではないかと感じてしまいます。
◆フリードリヒ大王
<アントン・グラフ画『フリードリヒ大王』>(Wikipediaより)
さて話は戻り、私が唯一知っていた王のフリードリヒとは、フリードリヒ2世(大王)のことです。
彼はまさにプロイセンの顔で、「合理的科学的認識のもとに国民を導き、国の近代化を促進することが国王の理想となった」当時において人々が求める啓蒙専制君主の典型とされ、カリスマ的人気を誇りました。それは哲学者のイマヌエル・カントが「フリードリヒの世紀」と表現したことからも分かります。
ちなみに、このアントン・グラフ作の『フリードリヒ大王』は、ヒトラーの地下塹壕執務室に唯一飾られていた絵としても有名だそうです。
<メンツェル画『フリードリヒ大王のフルート・コンサート』>
(Wikipediaより)
母親に似たフリードリヒ大王は、幼いころから学問や芸術に興味を持ち、哲学にも精通し、音楽に関しては時間があればフルートの練習をしていたといわれるほど傾倒していました。
<ザムエル・ゲーリケ画『少年時代のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世』>
(Wikipediaより)
しかし、「兵隊王」と呼ばれた父のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、そんな息子のことが気に入らず「笛吹きフリッツ」と罵っていたそうです。さらには躾と称して鞭で打ったり、食事を与えなかったり、楽器を破壊したりーー。もちろん、こんなことで良い親子関係が築けるわけがありません。
<カッテの処刑。要塞の窓からは両手を広げる王太子フリードリヒ>
(Wikipediaより)
そして、1729年。フリードリヒが18歳で王太子だったときのこと、側近のカッテとイギリスへ逃亡しようとしていたところを捕らえられます。王太子はキュストリン要塞に監禁され、カッテは斬首となり、王太子はその刑に立ち会わされることになりました。
このとき、王太子は要塞の窓から「私を許してくれ!」と叫び、失神したという逸話が残っています。
その後、王太子が手にしたカッテの遺言には「あなたのためなら喜んで死ぬ、一刻も早く父王と和解してほしい」とあり、これを読んだフリードリヒは「大王」への道を歩み出すことになるのです。
それはきっと今まで憎んでいた父のもとで次期「王」として生きる覚悟を決めたということなのでしょうが、フリードリヒからすると、愛するカッテのため、そして、自分の愛する誰かが自分のせいで犠牲にならないために、ただただ悪魔に魂を売っただけなのではないかと思うのです。
◆印象に残った絵画
『プロイセン王家12の物語』ではこのようなプロイセン王国の歴史が名画とともに語られています。そこで、個人的に印象に残った作品を2点ほど、最後にご紹介します。
<ヤン・マテイコ画『プロイセンのポーランド臣従』>(Wikipediaより)
掲載されていた絵の中で、本物を観てみたいと思ったのが『プロイセンのポーランド臣従』です。
見るからにデカそうな絵画ですが、実際に横幅は9m近くあるそうです。かつてのポーランドの強大さを表現している絵画で、これを観ていると国際的地位・権力なんていうのも結局は諸行無常なのだと感じます。
<ジョン・シンガー・サージェント画『ガス』>(Wikipediaより)
そして、最も心に残った絵画が、ジョン・シンガー・サージェント作の『ガス』です。第1次世界大戦での一場面を描いており、作者曰く、
「ドイツのマスタード・ガスにやられて目を負傷した兵士たちが衛生兵に導かれ、それぞれ前の兵士の肩に手を置いて一列になり、おぼつかない足取りで医療テントに向かう衝撃的シーンだ」
『名画で読み解くシリーズ』で語られる物語は、私にとってはあくまでもおとぎ話的なものであり、自分が存在する世界とはかけ離れた時空に在るからこその面白さがあったのですが、この絵画だけは違いました。
怖いし、心が痛い。
それはロマノフ家の物語から感じた恐怖とは異なります。
この『ガス』が生み出す恐怖とは、「自分が望むものを得るために相手を傷つけることは、実は自分自身を傷つけることと同義なのだ」ということにここまで来なければ気づけないという人間の愚かさと虚しさであり、また、今でも自分に襲い掛かってきそうな現実めいた恐怖なのです。
まったく以て、人というのは、本当に悲しく、馬鹿な生き物だ。
そんな感想で終わってしまった『プロイセン王家12の物語』。
正直、後味が悪かったです。それでも、面白かったことには変わりないので、興味のある方は是非ご覧ください。おすすめです。
もし次回作があるとするならば、デンマークやスウェーデンあたりが読みたいな~。
◆◆◆
本書では、プロイセン王国を以下の12の名画を通して解説しています。
1.フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴァイデマン 『フリードリヒ1世』
2.ザムエル・ゲーリケ 『少年時代のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世』
3.アントン・グラフ 『フリードリヒ大王』
4.アドルフ・フォン・メンツェル 『サンスーシ宮殿の食卓』
5.アントン・グラフ 『フリードリヒ・ヴィルヘルム2世』
6.F・G・ヴァイチュ 『シャルロッテンブルク宮殿庭園のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世と王妃ルイーゼ』
7.エドゥアルト・ゲルトナー 『ブライテン通りのバリケード』
8.カール・シュテフェク 『散歩中のルイーゼ妃と二人の息子』
9.フランツ・フォン・レンバッハ 『ビスマルク』
10.アントン・フォン・ヴェルナー 『ドイツ皇帝即位式』
11.マックス・コーナー 『ヴィルヘルム2世』
12.ジョン・シンガー・サージェント 『ガス』