ロラ

誰もが認める仲良し夫婦として30年。子育ても我ながら満足に終了し、輝く太陽の下、これからは2人で思いっきりサーフィンを楽しみ自由奔放にこのままずっと...。突然やってきた最強の試練。今までどんな苦境も笑顔で乗り越えてきたが、夫が脳出血。私はどんな愛をあげることが出来るのだろうか。

ロラ

誰もが認める仲良し夫婦として30年。子育ても我ながら満足に終了し、輝く太陽の下、これからは2人で思いっきりサーフィンを楽しみ自由奔放にこのままずっと...。突然やってきた最強の試練。今までどんな苦境も笑顔で乗り越えてきたが、夫が脳出血。私はどんな愛をあげることが出来るのだろうか。

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リアルに脳卒中。フリーダムから介護生活。愛する人の死の淵からの奇跡的回復から始まる新しい人生。

サーフィン中に脳出血で救急搬送。新しい人生を自分たちで素晴らしいものに....幸せな人生って何だろう。自由で楽しい時間があって、お金があって、愛があって、美味しいものを食べて.... 夫が死の淵から戻ってきてくれてから始まった新しい人生。 「死を乗り越えられたら、何でも頑張ります。一生懸命頑張ります。」 祈りが通じて....医学的には解明できない奇跡があると言われ回復をした夫。しかし、奪われたものも多かった。左の片麻痺に高次脳障害という後遺症を背負っての新しい人生。

    • 受傷後1年半職場復帰を果たす。

      その時下肢レベルは下肢装具を必要とするも独歩80メール可能。上肢レベルはBS3レベル。引き続き自己リハビリ継続中。

      • ビバ豊洲公園

        発症後1年。 豊洲のスロープを歩く。約200メートル。余裕っす...夜景を見ながら。ありがとうm(_ _)m江東区。

        • ビバ夢の島マリーナ

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          落ち着いてきた今だから記録しておきたい...生きるという凄絶な闘いに奇跡が起きた瞬間➊

          サーフィンにはよい暖かさになってきた。 太陽がまぶしい。 この太陽を2人そろってまた見ることが出来たこと...短いが長い長い道のりだった。 日常が戻ってきている。全く違う状態だが、二人で過ごしていく事は何も変わらず、以前よりもゆっくりと生きるようになった。日常が戻ってきていると感じられるような生活が出来るようになってきたことに感謝し大切に過ごしていきたい。 夫と二人で乗り越えてきた現実はとてもつらかった。 つぎつぎと悪くなる状況に心がついていかなかった。 そばにい

          落ち着いてきた今だから記録しておきたい...生きるという凄絶な闘いに奇跡が起きた瞬間➊

          退院後2か月...発症から8か月の経過報告

          今だ上肢BS1~2レベル。 5月24日朝の目覚めとともに左手指の屈曲があった。 理由は分からないが何故か動いた。ただし、2回目は無し。 下肢2~3レベル。 SLB装具と4点杖での連続歩行距離100メートル達成。室内で杖なし歩行訓練開始。まずは5メートル程度から...。左下肢への体重支持を意識して膝折れやバックニーが起こらないようにゆっくりと歩く。バランスを崩した時のために妻と2人で歩く。 AFOやシューホンブレースへの希望が見えてくる。 今現在デイサービスで行って

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          受傷機転(脳溢血になったとき)を思い起こして

          それは何気ない休日にサーフィンを楽しんでいる時だった。軽い疲れと極度の寒さから海を上がろうと思っていました。 ’’ もう少しやろうよ’’との妻の声に少し頑張りサーフィンをしていると、頭の中で急にコーラ飴がとけるような感覚と軽い頭痛にみまわれました。最後の1本と波に乗ろうとするも中々乗れず岸辺まで何とかたどり着くが、立ち上がるとバランスを崩し中々立ち上がることができなかった。 それを見ていた近くにいたサーファーが助けてくれ妻の介助のもと海からあがって車に戻った。 その時は

          受傷機転(脳溢血になったとき)を思い起こして

          抱えきれない現実。神様は夫に何を求めたのだろう...一生現役の理学療法士でいることがポリシーだった。

          プロの理学療法士が脳出血を発症した。 現実なのだろうか。認めたくはなかった。 今まで夫が見てきたものそのものが、目の前で夫に降りかかっている。 たくさんの奇跡を起こしてきた。一生歩けないと宣告された人をたくさん救ってきた。神の手だった。 「触っていると手が感じるんだよ。あ、動き出すって。経験と感覚的なものだから教えられないんだよ」 毎晩たくさんの話を眠くなるまでしてきた。夫のことは何でも分かっていたし、何でもしてあげたいという気持ちもたくさん持っている。 少なから

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          一生涯サーファー。サーファーは人種なんだ。誰もがうたがわなかった。しかしGetしたのは脳出血という名の波だった。私はサーフィンを封印した。

          サーフィンは生活の中心だったといっても過言ではない。 私なりのサーフィンの武勇伝は数知れない。 サーファーという人種の我が家の王様だった主人が言った一言。 「おまえには海に浮かんで見上げた時の空の素晴らしさはわからないだろうな」 切り離された感じがして悲しかった。一緒に感じたかった。 そして始めたサーフィン。子育てを終え40歳デビュー。夫のショートボードとウエットを借りてコツコツと3年でボードに立つことができ、10年で何とか横に滑れるようになりました。突っ込んで突っ

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          脳出血。衝撃と戸惑い、何かしなくちゃという焦り...唯一「生きていてほしい」とそれだけが願いだった。

          いつもの変わらない朝。何の前触れもなかった。 ほんの少しでも何かが違っていたなら....私は気付いてあげることができたのだろうか。 「本当に仲がいいよね」 お友達からはいつも言われていたけれど、30年間ずっとそばにいて、その時が忍び寄ってきていることに....悲しいけれど私は気付けませんでした。 「今日もいい波かな...」二人で笑いながら、台風後の良い波が来ていると信じて海に出発しました。 家を出るときに主人が私に言いました。 「いつもありがとう。」 「何言って

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