クラウス・リーゼンフーバー/矢玉俊彦訳『西洋古代中世哲学史』(平凡社ライブラリー、2000年)を読んで。

 哲学史を学ぶことの意義とは何だろうか。それは哲学史そのものに詳しくなることではなく、哲学史に名を残す哲学者たちとともに考えることにあろう。時に見失ってしまいそうなこの哲学することの意義を思い出させてくれる哲学史、それが本書リーゼンフーバー氏の『西洋古代中世哲学史』である。
 本書は長年に渡って中世哲学史やキリスト教思想史を上智大学で講じてきた著者が放送大学の教材として著したものが原形となっており、評者も大学一年生のときに哲学入門の授業の初回に教科書として著者から購入した思い出の本である。本書は哲学史でありながらも西洋哲学の根本問題を掬い上げていく凝縮された一冊であり、講義での時間的制約を反映した短い紙幅にそれぞれの時代を画する哲学者たちの根本問題が提示されていく。何よりも印象的なのは、その叙述を通して、それぞれの思想家が考えた問題が私たち一人ひとりの生き方に関わるものであるということである。私たちが既に抱いているところの世界観を揺さぶり、彼ら哲学者とともに考えさせる本書は、否応なしに哲学することへと読者を招く。
 本書が扱うのは、哲学の始まりを告げる古代ギリシアから近代的世界観の黎明期を生きたクザーヌスまでである。本書を他書と分ける特徴は、キリスト教哲学の章において教父が取り上げられていることであろう。従来の哲学史ではアリストテレスが終わるとデカルトへ飛ぶとよく言われてきたが、それに似たようにヘレニズムの思想からアウグスティヌスやボエティウス、そして中世へと駆け足で進むものが多い中、カッパドキアの教父たちや疑ディオニュシオス・アレオパギテースに紙幅を割いているのである。
 中世に関する部分は著者の溢れるばかりの知的躍動を感じさせるが、それは古代においても変わらない。むしろトマス・アクィナスが前提としていたアリストテレスの思想体系がこれ以上になく凝縮された形で紹介されており、哲学史上近年注目されているストア派についても、その思想体系と自然法思想とのつながりを感じさせるに十分な叙述が読者を迎えてくれる。
 本書は古代中世を謳いながらも、西洋哲学を彩る根本問題を闡明することにより、ヨーロッパのキリスト教思想を理解する大きな手がかりを与えてくれる。著者が生きていたなら書かれたかもしれないその後の時代の哲学史については、常に体系的な文脈から論じる著者の専門的な論文のうちにその片鱗をうかがえよう。中世哲学の沃野を明かす『中世思想史』とともに、繰り返し手に取る一冊である。

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