没男の小説考②主題の罠
暑いですね。躁鬱病のギリギリ会社員、没男です。
いきなりですが、
あなたのその小説の主題はなんですか?っていうか主題なんて設定しますか?
あるいは、
「普通」という同調圧力に生きづらさを感じるマイノリティの日常ですか?
一言で言えますか?それともなんも言えねーですか?もしかして、言いたくないというひねくれ者ですか?いや、そんなものはない!とか言っちゃいますか?
✴︎主題ってなんでしょう?
プロットが先か主題が先か場面場面のイメージが先か、は鶏が先か卵が先か的な議論なので、まあいいでしょう。
プロットは構成に表れます。イメージは描写に反映されます。かなりテクニカルな要素と僕は見ています。
じゃあ、主題はどこに表れるのよ?
①作品を貫くトーンでしょうか?
②作者の込めたメッセージでしょうか?
③近代人のエゴイズムみたいな誰かがいつのまにか抽出して読者の頭に固着したものでしょうか?
少なくとも、没男は主題を②と捉えることに懐疑的です。それは、前回申し上げた通り、僕が読者の立場で小説を考えるからです。
となると、
作者のメッセージなんてどうでもいい!!
という極論に辿り着きます。
自作を解説したがっちゃう人がたまにいますが、読者から言わせると、
あんたの考えは分かったから好きに読ませてくれ!!
なわけです。
ひとたび書かれた小説は親離れし、読者によって揉まれるのです。もう作者の手が届かない次元に飛び立ってしまいます。
よく、学校の国語のテストで「作者の意図はなんでしょう?」と問われます。もしかしたらそんな蛮行はもうなくなっているかもしれませんが‥。こうした問題を見るたびに、そんなの本人に聞けよと意地悪な没男は思いました。あるいは、それは先生の感想ですよね?とひ◯ゆき的な発想に至ります。
本人に聞いたところで、
そんなものはない!!と嘘かほんとか分からないことを言われるかもしれませんよ。
しかも、亡くなった作家だと降霊術でも使わない限り聞けない!!
なので、「この小説で『作者が』描きたかったのは愛と死、そして喪失と再生だ!!」
‥とか言ってる人はイタコか作者の脳をハックできる超能力者か正直な作者です。
✴︎主題はどこへ行った?
主題を考える上で興味深いエピソードがあります。僕がある音楽家の会見に立ち会ったときのことです。
某記者が質問しました。
今回の楽曲に込めたメッセージを教えてください。
僕は終わったと思いました。
音楽家はこう言い放ちました。
あんたの電話番号教えてよ。この後10時間かけて説明するから。
つまり、主題ないしメッセージというのは、作り手ですらそうサラッと説明できないことがある、ということです。
ここでひとつ思考実験を‥
あるノーベル賞作家が、世界的メッセージを搭載した主題の新作を書き、
原稿をロケットに積んで火星に置いてきたと仮定しましょう。
誰も読めません。作家がどれだけ怨念じみたメッセージを小説に込めても、読まれなければ届きません。
小説は読者に読まれるなかで生成するものと考えます。
ある意味創作は読者との共同作業なのです。
読まれないと生まれないのです。
そして、当たり前ですが、読むという行為は常にズレを内包しています。
となると主題もあらかじめ敷設されているというより、読者がテキストから自ずと引き出していくものと解釈できないでしょうか?そし
ということは、読まれれば勝ちなんです。
いまこの駄文をあなたが読んでいたら僕の勝ちなんです!!(必死)
しかし、安心してください。
没男はまだ1作も書けてない!!!