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没男のショートコント④【反-新人賞】


 小説家になりたければ、新人賞を獲ればいい。中学校あたりで配布している職業紹介の冊子にも、同じことが書いてある。パティシエになるのと変わらない雰囲気で。

 パティシエは悪くない。新人賞という制度が悪い。人生を棒に振る人間もいる。出版社への持ち込みという手もあるが、近頃原稿ではなく爆弾を持っていく輩が出てきたので、狭き門が閉じた。

 ある出版社は年に一度、登竜門となる新人賞を主催していた。書いて送って受賞すれば、とりあえずデビューできる。その後は自分次第。

 その最終選考は4人の「大先生」が担った。2500点に上る応募作のうち、「大先生」の元へ上がってきたのは2点だ(あれ、2498点は?)。

 2点とは、少ない。なぜなら、選考する人間も半減したからだ。ある大先生は「飽きた」と言って辞めた。

今回の生き残りは以下の通り。

・「余命2年の彼と余命1年の私と彼の頭の中の消しゴム」
・「転生しても俺だった件」

「また来たよ、転生、余命、ついでに消しゴム」

 赤い頭髪に赤のロイド眼鏡、赤と緑のマーブル模様という錯視を呼びそうなワンピースを纏った脂肪の塊の女流作家が言った。

 「女子高生のポエムとかさ、ちょっと背筋がゾクゾクするから勘弁してほしいんだよね」はこの女流作家の常套句である。

 とか言いつつこの女流作家は少女の頃、ゾクゾクもののポエムを原稿用紙やノートにニヤニヤしながら、時に涙を流しながらひっそりと書いては書いて、ダンボール二箱分ぐらい溜めたことがある。そう、自身を形成した黒歴史を抑圧している。

「強いて言えば、前者が興味深い。余命〜は余命のインフレーションを批判的に受け止めながら記憶喪失を導入し、批評的態度を堅守しつつ溶解させるという非常に高度な技量を示している」

 若い頃の不摂生からか顔が浅黒く目袋がひどく弛んだおっさんがよくわからないことを言った。

 彼は、本人も驚いただろうが、デビュー作で時代の寵児となり、下駄を履かなければとても生きていけず、アウトローを気取った。しかし、残念ながら2作目、3作目がまるでダメで、テレビに活路を求めた。

 しかし、腐っても作家。インテリがウヨウヨする周囲へのコンプレックスを埋めるかのごとく勉強し、巻末に異様な長さの参考文献一覧を載せた鈍器のごとき小説を書き上げ、息を吹き返した。

 「なんかさぁ、どっちもなんか無難なんだよね。まとまってるっていうかさ。初期衝動がないの。最近のコ、文学してないよねー」

 顔面を整形しまくってデビュー当時の顔写真とはまるで別人になってしまった元AV女優の作家が言った。

 彼女は若者の歪な生態、サディスティックなセックスをひたすら書き続けた。金太郎飴だ。ワンパターンだ。そのうち自分の顔も歪んだ。皮肉というか、こっちの方が面白い。とSNSで言われている。

 議論は紛糾した。タフな女2人に挟まれ、浅黒い男は萎縮した。若い頃は女を指して「ブス」と書きまくっていたくせに。

 あと一人、黙り込んでいる大先生がいる。今回就任した作家だ。ギリシャ彫刻を思わせる硬派なリアリズム、説得力が評価されている。

 奇妙な設定や意味不明な文体が闊歩する中、誰もが「ああコレだよね」と唸る作品を出してくれた。

この硬派先生は、

 「僕は選考委員を辞めます。票を入れろと言うなら、転生の方で」と言った。

そして続けた。

「闇のポエム、一発屋、勘違い女‥‥アンタら、タイトルしか読んでないだろ!」

そう、選考委員にはタイトルしか与えられていない。

「だって、ねぇ‥読むの大変じゃん、忙しいじゃん?パーティーとかさぁ。ねぇ‥下読みなんてもっと大変だよねぇ‥よく絞ったよねぇ‥読まずに食べたのもあるのかなー?」

 硬派先生は、

「こんな新人賞は廃止しましょう。

ドラフト制で作家を発掘しましょう」

と熱のこもった眼差しで出席者を睨んだ。

「もう、小説なんてウェブにいくらでも溢れてる。公募に注ぐ力をネットサーフィンに傾けるんです。野球みたいにスカウトして、一軍二軍三軍‥と割り振って、それなりの待遇にすればいい」

 硬派先生は自信に満ちていた。ほか3人より自分の方が「いまは」売れていると、ほくそ笑んでいたから。

 さて、こうして、とりあえず、

今回は受賞作なしと決まった。

 一方、小説家のドラフト制は大いに話題となった。他社も追いかけた。書き手としては、毎日が新人賞みたいなものだ。小説家志望者は、読まれてるとの心理が働き、投稿サイトに投稿する頻度が減った。

 どこぞの誰かにスカウトが来た、などと噂になった。スカウトされた!とタウン誌的ノリで自慢する輩もいた。

 スカウトしたらネット覆面のプロ作家だった、という珍事もままあった。

 原稿用紙に小説を書く人間はいなくなった。書いたモノに対価を求めない人間だけが原稿用紙を使った。


 作家が過去の栄光だけであぐらをかける時代が終わりつつあった。なぜなら、不調や故障は即二軍落ち三軍落ちだからだ。

翌年のドラフトでは、3社が「転生しても俺だった件」を指名。出版社の幹部がくじ引きする映像がちらりと放映された。

「余命1年のなんとか」はどこかに埋もれてしまった。

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