没男のショートコント⑨【「私」小説】
この春、僕は大学受験に失敗した。4月からピカピカの浪人生だ。言われるほど凹んでない。なにせ、予備校のクラスにはいい匂いを放つ大人びた女の子がウヨウヨしている。
そう、僕は男子校出身で、ピカッピカのドウテイだった。つまり、僕の中の「女子」は中学3年生で止まっていた。ということは、僕の中の女子と浪人女子は少なくとも3年の隔たりがある。
僕が1年浪人して学んだことは「女子の3年はデカい」。以上。
現役時代から女が絶えないくせに、僕に一人も斡旋してくれなかったケチな浪人仲間は、
「俺にとっては15だろうが18だろうが女は連続体だ。そこに断絶はない」
と、鼻歌混じりで物理の悪問を片付け、早速引っ掛けた浪人女とタバコを吸いながら消えた。
僕はいわゆるコミュニケーション能力がない。顔も体も並以下だ。友達も多くない。そしてピッカピカのドウテイだ。女の子から話しかけてくれるなんてあり得ない。
ならば、自分からいくか?あのケチ野郎みたいに。‥無理だ。僕は母が朝作ってくれた弁当を独り食べながら煩悶した。
おい、待てよ。俺は何しに予備校に来てるんだ?
勉強だろ、合格だろ!
同じクラスの男女が僕の側で楽しそうにメシを食っていた。同じクラスの男女が手を繋いで歩いていた。
おい、待てよ。お前ら何しに予備校に来てるんだ?セックスのために学費払ってもらってんのか?
勉強だろ、合格だろ!
おかしいだろ‥訳わかんねぇよ。
父が僕に文庫本を買ってきてくれた。宮本輝正という作家の「迸る青」という古い作品だった。なんでも、父のお気に入りなのだという。
「お前と同じ浪人生が主人公だ。たまには息抜きしたらいい」
僕は父の気遣いに感謝しつつ、本をそのままにしていた。だが、勉強ではないところで行き詰まっていた僕は、フィクションに突破口を求めた。
なにせ、主人公が合格までひたすら勉強だけし続ける小説なんてないはずだ。きっと青春を生きるヒントが秘められているかもしれない。
------浪人中の主人公Rは予備校をサボり続けている。かと言って出かけないわけにはいかない。何となく行った図書館でホメロスのオデュッセイアといった類の文学全集を手にとり、棚の端から端まで読むと決意する----
読み進めるにつけ、「迸る青」は僕のことを書いているように思えた。Rの自意識過剰ぶり、そのくせ臆病な性格。ハスに構えた思考回路。こんな感覚は初めてだった。
何よりRも筋金入りのドウテイだった。
だから僕は、
予備校なんか行きたくない!浪人女子が放つ香水の匂いなんてごめんだ!
との思いを一層強くした。
僕はRを真似て図書館に行った。文学全集を端から‥。読んでる側から文字は頭を通過し眠気を引き寄せる。
「これは、3浪しても、無理だ」
周りは老人ばっかりだ。この臭いはなんだ?本か?インクが?死臭か?加齢臭か?俺か?
予備校に戻ろう。女の子を見てるだけで、テンションが上がるはずだ。
というか、予備校に行かないとそもそもチャンスがないじゃないか!
-----Rには画家志望の親友がいた。しかしガンに冒され余命幾許もない。「あの喫茶店にある、樹の下で眠ってる少年の絵があるだろう。『彗星の悲哀』だ。どうしても死ぬ前にあれを見たいんだ」。盗むしかない-----
そういえば、絵を描きたいってT美大受かったあいつ、具合悪くなったって言ってから音信不通だけど、どうなったんだろ。
僕は彼の実家を訪ねた。お母さんが出てきた。
「あの子、もう長くないの。あの偏屈ぶりでしょう?気にかけてくれるお友達がいて嬉しいわ」
僕は早速面会を申し出た。
彼は骨と皮になっていた。もともと骨と皮だったが、病というものは搾り取れないところからこうも搾り取るものかと目の当たりにして驚いた。
言葉を選んでいると、察した彼は笑った。
「誰か来てくれないかな、と思ってたんだ。この俺がだよ?もう終わりってことかな」
「返事に困る。そんなことを言うな」
「よりによって、何でお前が来たんだ。そんな連んだ記憶はないけど。ま、それでも嬉しいよ。認める」
「見てくれ」と彼はスケッチブックを取り出した。桜の樹、サラサラと音もなく宙を泳ぐ花びら。車椅子の患者。看護師。色鉛筆の優しく淡いタッチが、かえって彼の悲愴感を際立たせていた。
「この部屋から見えた景色だ。この景色はもう描けない」
彼は絵を盗んでこいとは言わなかった。その代わり、まもなく死んだ。お母さんが「息子からあなたに」と例の桜の絵をくれた。
僕は予備校に復帰した。もう女の子を気にしないことにした。女の子が気になり始めたらそれは疲れている証拠だとみなし、GABAを摂取した。
というか、女の子も男の子も本腰を入れ始めた。浪人は現役に対し少なくとも1年のアドバンテージがあるが、次第に差が縮まってくる。当然偏差値は伸びない。焦る。
僕は夜な夜な桜の絵を見ては、
「こんなんで、俺はいいのかな」
と彼にとも自分にともつかず、呟いた。あいつはこんなものを残していなくなった。俺には英文や数式を連ねたノートぐらいしか残っていない。
-----Rはとりあえず周りに受けろと言われた私大に合格する。しかし、入学したくない。一応手続きのためキャンパスを訪れたが手続きしたくない。ベンチで葛藤していると、赤いコートを着た超絶美人が現れた。
「あなたも新入生?よろしくね」
Rは入学を決めた-----
僕は滑り止めで受けた私大以外全て落ちた。2浪は許されなかったし、こりごりだった。入学手続きにキャンパスを訪れたが、やっぱりためらった。ここで4年?その先は?
僕は書類が入ったカバンを抱いて、ベンチに座った。このまま居座って、時間切れになったら?僕は働きに出るのだろう。なんとかして。
ベンチでくすぶっていると、赤いコートを着た超絶美人が現れた。予備校の女子全員が鉛筆を武器に襲いかかっても微動だにしないほどの、歯牙にもかけないほどの圧倒的存在感。見てるだけでいい匂いがする幻覚モノの驚異。
これはまさか‥やはり「迸る青」は啓示だったのだ!
彼女と目が合った。なにか、一言。どちらかが言わなければ、展開しない。目と首と腰が落ち着かない。
「俺が言わねば。なんでもいい、道に迷ったとか‥そんなんでいい!」
彼女は何も見なかったかのように僕の目の前を通り過ぎた。僕はその姿を目と首と腰で見送った。
僕は自販機で缶コーヒーを買い、一気に飲み干した。
「だよな。そんなもんだよ。うん」
緊張感が抜けた。よし、
「守衛さん!学生課はどこですか?」
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