
没男の小説考⑧純文学!!
寒くて朝起きられない没男です。
没男のよくわからない概念の一つに純文学なるものがあります。純喫茶よりもよく分かりません。
noteでは純文学を標榜し作品を出されている方もみられ、激しく没男は刺激を受けております。
で、純文学ってなんですか?
答えは、純じゃない文学以外の文学です。理屈で言うと。
純文学って聞くと崇高な感じがしますよね。
そこいらの缶詰みたいに大量生産・消費されるアイツらとは違うんです!
芸術なんです!!
媚は売りません!!
魂の叫びなんです!!
お遊びとは違うんです!!
私の全存在を懸けた‥
いくらでも純文学的モチベーションはあげられそうです。ただ、抽象的に過ぎる‥なんだろう、
没男には難し過ぎる!
没男は一応学生時代に日本文学らしきものを留年含めて7年ぐらいやってましたが、このうち、
3年間は鬱状態だったのでほとんど忘れました!
このため、二葉亭四迷以降の日本近代文学界隈で騒がれた(順不同)悲惨小説とか純粋小説論とか中間小説とか通俗小説とか自然主義とか私小説とか小説の筋論争とか‥
について体系的に語れる脳みそがありません。
ただ、現代の出版マーケットの確立とか、そんなことを踏まえると必ずしも前述の議論を現在の純文学に適用できるか疑問です。
初心にかえります。
夏目漱石の小説は純文学ですか?
駅前で100人に街頭アンケートをとったら、80人は純文学と答えるんじゃないですか?
じゃあ、とりあえず漱石を純文学としましょう。
でもこの人、新聞の連載小説書きまくってるんですよね。あの、マスターピース「こころ」も。
新聞の連載小説って、純文学ですか?
文芸誌に載ってれば純文学ですか?
よくわからないっすね。誰が決められるの?
ライトノベルを文学と見るか的な議論も没男は参照してますし、エンタメ量産型の作家が稀有な才能の持ち主であることも承知しています。一部自認している方も見たことがありますが、職人ですよ、彼らは。リスペクト。
ただ、純文学的に見ると職人は芸術家ではない、すなわち純文的ではないのでしょう。
まず文学という言葉がいかがわしい。学問の一ジャンルでありながら、テキスト自体のことも指しちゃいますからね。あるいは人生哲学的なニュアンスも込められる。
私の文学とは‥みたいな。
なんか、もう純文学なんてのは、
言ったもん勝ち!!自己申告制!!
な気がしますね。
デュシャンの泉的な。
俺が芸術と言って美術館に置けば便器も芸術作品だ、的な。
純文学、先の漱石を考えるとき、没男はいつもアンディー・ウォーホルあたりのポップアートを思い起こします。
近頃はバンクシーが頭をよぎります。
芸術というお墨付きが後から追っかけてくるパターン!
漱石は「俺の書く小説は純文学だ!」なんて言ってるんですかね。全集調べたら一言ぐらいあったりして‥この人、異様な文学論も書いてるんで‥
てか、今でこそ漱石は日本文学の聖典としてありがたやーと読まれてますけど、
一方で当時は市井の人々が日常的に親しんだ売れっ子作家なわけですよね。
要は、純文学ってもしかして後付けじゃないの?という疑惑です。
漱石はかなり読者ウケを気にしてますよ。結構なエンターテイナーじゃないですか?
源氏物語って純文学ですか?
駅前で街頭100人アンケートの結果、どうなるでしょうか?
当時純文学なんて言葉ないですよね。
なのにザ・クイーン・オブ・日本文学ですよ。ラスボスですよ。
これ、ラノベが欲しい要素てんこ盛りですよ。
とか言い始めると、文学理論の話になるんで深入りしません。
なんか、ペラい考えを巡らせていたら、なんだか純文学というワードが、
蜃気楼!!
に思えてきました。
あるいは、破滅型私小説作家が貧苦にあえぎ苦悶しながらひねくり出した小説は純文学でしょうか?
なんかこれはそれっポイですが‥G行為スレスレ‥
いや!それこそ純文学!!
いつの日か認められればいい!
のでしょうか?私の純文学があなたの純文学になる時が来るのでしょうか?
それはまさに孤高の芸術家の姿‥。
な気もしますね。マンガみたいですが。
で、没男の小説は純文学なの?
いいえ、純文学ではありません!
だって、私が純文学だと思ってないし誰も純文学だと言わないからです。
読んでいただければ分かります。
没男のショートコントを。
僕もね、そりゃあ自分が特別な存在だと勘違いした時期がありましたよ。学生やってた20代前半なんて特に。
だって毎日死にたかったからね!!
嗚呼、生きるとはこうも苦しいものなのか。なぜこんなに苦しいのに生きているのか。人生とは、なんて残酷なんだ!!
とか毎日考えてると、思うわけです。
この生き地獄は神の啓示に違いない!俺は選ばれし者だ!この苦しみを芸術に昇華せねば!!それが俺がこの世に生を受けた、真の意味に違いない!!
なんか純文学っぽいですかね。で、鬱明けで思うんです。
己を芸術家たらしめんとするこの苦しみは、
ただの症状だと‥笑
鬱、躁鬱の人は多かれ少なかれみーんな生きてるのが苦しいんです。僕は特別ではないのです。
というわけで、正気を取り戻した没男は、失われた単位を求めてせっせと小説でも詩でもなく短歌でも俳句でもなく論文を書き散らしたのでした。
で、純文学ってなんですかね?