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没男の小説考⑤一行目の怪

低気圧にやられて投稿記事を墓場から引っ張り上げフランケンシュタイン博士のごとく改造する作業を気まぐれにやるもいっこうに生命の神秘となるカミナリも来ないでむしろ眼精疲労に襲われている躁鬱病ギリギリ会社員の、没男です。

noteを始めて、皆さんの小説を読んでは心が折れる日々が続いています。

当初掲げたマニュフェスト

自分のために書く

が揺らいでいるのです。
結局うまく書いて、いい感じの、悪くてもいいんですけど、反応を得たいのです。これが、人間のサガというもの。 

というわけで、

引き続き、小説を書くことについて読者目線で考えてみたいと思います。まあ、結局書くことに繋がるのですが。

✴︎一行目をいつ書くか

ケースバイケースだろ。

答えです!

しかし、凡夫である没男限りなく透明なブルー普遍性が欲しい‥

どうですか、万が一この駄文を読んでくださっているみなさん。

一行目を書くのはいつですか?

なんらかの断片が浮かんだときですか? 物語が浮かんだときですか? プロットが固まったときですか? 何も浮かんでないのに一行目って書けるんですか?

ちなみにですが、物語ないしストーリーとプロットって、違いますよね!?汗

参考というのもおこがましいですが、没男は断片派です。断片から大雑把なストーリーの鍋ができ、同時進行で生まれた登場人物をそこに放り込みます。

そして一行目を書く!書きながらプロットを考える!

だから、着地点が見えません。迷子になります。

確固としたプロットは必要なのか?

分かりません。作法の問題でしょう。

没男は最低限の努力で最高の結果が欲しい!

でもね、スティーブン・キングがプロットなんていらん的なことを言ってましたよ。物語という化石を取り出せと。

アレですね、

彫刻家が仏像を彫る感覚と同じですね!!

✴︎一行目の解

ありません。

これが答えです!

一行目の重要性は、数多くもない小説を読んできた没男でも分かります。言わずもがなでしょう?笑

とはいえ、やたらと一行目がてんこ盛りだったり、気を衒って意味不明だったりなんてのを見たことありませんか? 

ほら、あの気合い入っちゃってるやつ。説明しがちなやつ。

小説はその性質上、冒頭に情報が集まります。読者に負荷がかかります。なので、スッと入りたいのです。その塩梅が永遠のテーマなのでしょう。

そして、読者は基本的に事前知識なしで一行目を見るわけです。基本的に。一行目は玄関なわけです。

玄関に有刺鉄線があったり扉の場所すらわからない家はたとえアトラクションだとしても嫌だ!!

もしかしたら、そういう前衛的な作品があるかもしれません。が、没男はちょっと敬遠します‥。いわゆる聖典でも。

そして、一行目のおそろしいところは、プロット、語りと密接に関わるということです。

たとえば、

A→B→C→D

という時系列の、貧しい少年が成長し金持ちになるというストーリーが浮かび、そのままプロットにして時系列に沿った一人称語りで書いたとします。

Aが書き出し、つまり、一行目を含む場面です。

語り手の少年は時系列に沿って念願の金持ちとなる。語り手の視線は明るい未来に向かっています。

しかし!!それでは面白くない!!!

と判断し、プロットを変更したとしましょう。

たとえば、

D→B→C→A

といったふうに。

物語内世界の最後の時間が頭に来るわけです。

となると、語り手の少年は一行目ですでに金持ちとなりある程度成長して貧しかった少年時代を回顧しなければなりません。

語り手の視線は貧しかった少年時代に向かっています。

文体も少年ではなく、金持ちとなった男を意識したものになるでしょう。

一行目はやはりモノノケです。

文章レベルでは、重過ぎても軽過ぎてもいけない。持ち得る最適解を出すほかない。

一行目は小説の構造に関わる。
時に全体の大改造を要求される。

お分かりいただけただろうか‥あなたの原稿を行き交う‥


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