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どうせ、生きるなら。

このタイトルは、車いすアスリート、廣道(ひろみち)純さんの
著書の、タイトルである。

子供の頃から、やんちゃだった、廣道さんは、
15歳の時、バイク事故で、脊髄を損傷、
車いす生活を送ることになる。

入院中も、
病院を抜け出して、お好み焼きを食べに行ったり、
喫茶店に行ったり、と、やんちゃだった。

しかし、看護師さん達は、あまり怒らない。

仕事中、機械に腕を巻き込まれ、
片腕をなくした方が、お見舞いに来ることもあった。

大人なんか嫌いや、
そう思っていた廣道さんは、
周りの大人が、自分を心配し、励ましてくれていることに気付く。

車いすスポーツと出会ったのも、
理学療法士さんが、障害者スポーツセンターへ連れて行ってくれたことが、きっかけだ。

着実に力をつけていった、廣道さんは、
国内では、車いす陸上で、上位に入るようになった。

よし、次は、世界だ。

そう思った廣道さんは、
英会話教室に通い、海外のレースに参加する。

そして、大胆にも、当時の世界王者、
ジム・クナーブ選手に、

自分は、日本のアスリートだが、まだまだ知らないことがいっぱいある、教えてください
『どうせ、生きるなら』P76

と、友人に書いてもらったメモを、
直接渡す。

すると、ジムは、名刺を廣道さんに渡し、
日本に帰ったら、連絡しておいで、
と言ってくれた。

それから、廣道さんと、ジムの、
ファックスでのやりとりが始まる。

かなり細かい所まで教えてもらい、
ジムが使っているホイールを、
廣道さんがディスカウントで買えるよう、手配もしてくれた。

そして、ジムから、一緒に練習しよう、
と、声が掛かる。

その直後、アトランタパラリンピック代表の落選が決まる。

車いすになったことより、ショックだったというが、ジムの言葉は、「忘れろ、次を狙え」。

その年の暮れから、正月に掛けて、
廣道さんは、ジムの元にホームステイして、
練習を共にする。

海外の選手は、怖いほどオープンだという。
なんでも教えてやるが、それでも負けないぞ、という気迫に満ちているのだという。

人間としての、スケールの大きさ。
これがあるから、世界一なのだ、と気付く。

もう1人、廣道さんに影響を与えた人物。
ジムに替わって世界王者になっていた、
スイスのハインツ・フライ選手。

廣道さんは、スイスへの遠征の際に、
ハインツに弟子入りしたいと申し出る。

返事は、快諾。1週間の合宿を行う。

ジムは、細かく教えてくれるタイプ。
しかし、ハインツは、あまり話さない代わりに、ひたすら一緒に走らせてくれる。

世界王者について、走っている内に、
廣道さんのスピードは、飛躍的に上がった。

迎えた、シドニーパラリンピック。

800mで、ハインツに続いて、銀メダル。

その後、廣道さんは、プロアスリートとなる。

関西弁で書かれた文章は、小気味良い。
親しみも、持てる。

そして、何より、どんな時にも前向きな、
廣道さんに、驚かされる。

私なら、絶対1週間は落ち込んでいそうなことを、パッと切り替える。

一度死にかけて、命の価値を知ってしまったおれは、たっぷり喜んで生きなくては、命に失礼だと思う。
生きまくる。
もうちょっと抑えたらどうやねん、と
いわれるぐらいに生きる。
『どうせ、生きるなら』帯

確かに、廣道さんの人生は、この言葉、
そのものだと思う。

この本は、2004年発行で、
アテネパラリンピックを控えた時期。

今度は金やで、覚悟しとけよ。

帯に書かれた、この言葉から、
廣道さんの、意志の強さを感じた。

非常にポジティブな、廣道さんの言葉に、
是非、触れて欲しい。

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