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著者の執念【1941年 パリの尋ね人】

著者は1945年生まれ、
尋ね人の記事が載ったのは1941年。

「あれ?自分が生まれる前の新聞記事について調べている?」と違和感がありました。
わずかな手がかりから調査しました。

有名な人ならともかく、無名の、尋ね人に載ってただけの女性をよくここまで足取りを追えたものかと感心しました。

メロディアスライブラリー2015.1.25放送。

・まさに死者の世界に探しに行った

「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれにつきるのかもしれない」

1941年 パリの尋ね人 p3

実際に、尋ね人の手がかりをもとに、
出生証明書を取りに行ったり、
滞在先をつきとめたり、
彼女のいとこから話を聞いたりと
著者の執念を感じました。

ネタバレになりますが、
彼女は既に亡くなってます。

・何が脱走を決心させるのだろうか

調べているうちに、尋ね人の「ドラ・ブリュデール」が寄宿舎を出ていったことが判明。

あらすじを聞いた時は、「亡命するためにやめたのか」と考えました。
メロディアスライブラリーでホロコースト文学に分類されていたことも影響しました。

主人公の両親がユダヤ人、かつナチ政権が台頭してた時代だったので、亡命していてもおかしくないと考えたからです。

いとこによると、自立心が強かったドラ。
まさか脱走したとは思いもしませんでした。
著者はこう触れています。

何が私たちに"脱走"を決心させるのだろう?
(中略)
突然脱走に駆り立たせるのは、寒い、どんよりした1日なのであり、そうした日には孤独感はひとしお深く、万力で一段と強く締め付けられる感じがするものだ。

1941年 パリの尋ね人 p71

普段なら考えられないけど、ふとした瞬間に脱走したくなるのだろうかと思いました。

・感想

「フランス在住のユダヤ人もナチ政権の影響を受けたのか」と驚かされました。

ドイツ国内は言うまでもなく、ポーランド、チェコスロバキア、オランダなどに住んでたユダヤ人についてはイメージできました。

ナチ政権はフランスまで勢力を伸ばしていたのかと驚かされました。

ドラと父親はドランシー収容所を経由して、アウシュビッツへ連れて行かれたことがわかりました。
即日ガス室に連れて行かれたとのことです。

母親はハンガリー出身のユダヤ人だったので、
しばらく保留になりました。しかし、措置が決まれば、他の国のユダヤ人と同じ運命を辿りました。

尋ね人のドラは、アンネの日記のように残されているわけではないので、公的な証明書を除けば想像になってしまいます。

想像の域とは言え、1人の女性の人生をここまで丁寧に書かれているのがすごいと率直に感じました。

以上、ちえでした。
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