すべて私
目の前に現れた人たちは
すべて私の一部なのだと思った。
特に家族たちは
見たくない。出しちゃダメ。って…
そうやって置き去りにした私自身だった。
そんな自分を嫌っているから
こうしてよ!こうすべき!と、
エゴをぶつけてしまうんだよね。
言いたいことを笑いに変えて誤魔化してしまうおじいちゃん。
全部ひとり抱え込んで役に立つ自分を頑張るお母さん。
周りを喜ばして自分のことは後回しの叔母さん。
そして外面はよくて家族の前では大柄で
わがままで何事に対しても否定的なおばあちゃん。
これ全部、私の中にいる私だった。
特におばあちゃん。
私は嫌で嫌で仕方なくて、、
目に入れないように
私の中に入ってこないようにって、
存在を排除しようとした。
早く死ねばいいとさえ思った。
だけどそれは全部おばあちゃんのせいにして
汚いものにフタをしているだけ。
何の解決にもならないって気付いた。
おばあちゃんは私の中にいる大嫌いな私の姿。
そんな憎まれ役をおばあちゃんは買って出て、
私の目の前で演じてくれているに過ぎない。
だから視点を変えることにした。
おばあちゃんは私。
私は何を伝えたい?
何を分かってほしい?って。
それでもやっぱり腹が立ったり不快に感じたりもするけれど 笑
だけどさみしいんだな。不安なんだな。と、
愛の目でおばあちゃんを見られるようになった。
同時に、過去置き去りにした自分が感じてた
寂しさや不安も顕在化して…
あの頃とても私は頑張っていたのだと
見捨てていた自分自身を受け容れることが出来た。
目の前の人はすべて私。
戦わず、なぜそうなのか
自分の内側の反応を感じてみる。
すると置き去りにしたたくさんの自分と再会できる。
PS.そうやっておばあちゃんを見るようになったら
笑顔で優しいおばあちゃんが目の前にたくさん現れてきた。
やっぱり内側。自分自身なんだなと、改めて感じた。