見出し画像

寂しさとの向き合い方

本日大好きな友達とお別れをしてきました。
私のいるオーストラリアから
他の国に移動するだけなので、
一生のお別れではない。
でも寂しいものは寂しい。

私が一番辛かった時に
一番長い時間を過ごしてきた友達で、
その時の思い出が
私にとって特別になっているからこそ、
その時のメンバーと遠く離れ離れになってしまうのは
やっぱり悲しくてとても心細い。

今日はこの喪失感という悲しみと向き合ってみる。


生きていれば必ずある別れ

生きている以上、大切な人や大好きな存在との
別れは必ずあるものだ。
大切な存在を無くした時、
私たちはどのようにこの気持ちと
向き合っていけば良いのだろうか?

別れ方によっても違うとは思う。
恨み合っての別れや、
罪悪感を感じたままの別れは、
また少し向き合い方も変わると思う。

だけど、円満のお別れだからこそ、
行き場を失う気持ちもあると思っていて、
大好きな家族を看取った時、
今回の私の様な友達との距離的な別れ、
訳も分からず突然告げられたパートナーとの別れなどは
気持ちが行き場を失いやすいと思う。
だから回復にも時間がかかったりする。

こういう時は過去の楽しかった、幸せだった
思い出に浸っては寂しい気持ちになり、
もう会えない悲しみから抜け出せなくなる。

なぜその悲しみを感じるのか

ここで見つけ出したいのは
「悲しみの出どころ」。

なぜ自分はこの悲しみを感じているのだろう?
と考えてみる。
だって同じ誰かとの別れでも、
ここまでの悲しみを感じない別れも存在する。
だからこそ、その違いを見つけ出したら、
何か元気になれるヒントが
出てくるかもしれない。

但し答えは本人によってそれぞれだとは思う。
でも、共通して言えることは、
その失った存在が自分にとって大きなもので、
大切で大好きだったから、
それを無くして悲しい。ということ。

言い方を変えると、
その大切な存在と一緒に居たことで
自分の人生が潤っていて、
その潤いがもう手に入らないと思うと
不安で心細くて、
「寂しい」という感情になる。
のだと私は思う。

つまりその大切な存在を無くした後の
自分や自分の未来に不安を感じている…
のではないか?と考えた。

例えば別れでも、
見送られる方と見送る方だと、
断然不安を感じやすいのは後者だ。

見送られる方は先に進むステージがあり、
そこでの新しい未来に不安はあっても、
既に別れを覚悟してでも選んだ道だから、
気持ちも次の事へと
前向きになりやすい。

しかし見送る方は、
日常は変わらないのに、
その大切な存在だけが抜けてしまう。
それに不安を感じるのだと思う。

不安を埋めるためには?

不安を埋めるには2つ方法はあると思う。
まずは他のことに目を向けるのが一つ目。
前述した「見送られる人」の様に
次に進む何か気を紛らわせるものがあれば
少しは楽になると思う。

ただそこまで気持ちが持っていけないから
みんな苦労する(笑)

そこで大切なのが二つ目で、
私はこれこそが一番大切だと思っている。

それは、

一人でも不安にならないほど、
自分を愛し、自分に自信をつけること。

不安というのは自分の中で
愛や自信が足りていないから起きるもの。
本当はそれで満たされていれば安心なのに
足りていないから欲しくてたまらない状態。
そして他人からの愛や評価をもらうことで補おうとして、
それがもらえなくなるからまた不安になる。

今回の喪失感も同じだと思う。
もちろん大切な存在が無くなり
寂しい気持ちは生まれる。
でもそこで自分で自分を慰めたり、
自分の気持ちに寄り添ってあげることで、
不安というのは軽減される。
なぜなら自己愛という愛で自分が満たされるから。

だから寂しさでどうにもならない人は
是非自分で自分を抱きしめてあげてほしい。
もしここに失った大切な存在がいたら、
落ち込んでる自分にやってくれそうなことを
自分が自分にやってあげてほしい。

私たち生き物は、
例え大切な人を失ったとしても
一人で生きていかなければならない。

そのためには一生別れることのない自分が
何より近くで寄り添ってあげなければいけない。
「私がついてるよ」そう言って、
どうか自分を愛してあげてね。

いいなと思ったら応援しよう!