あなたのハイダウェイはどこですか?『東京ハイダウェイ』を読んで
東京ハイダウェイ 著者 古内一絵
はじめは、何となくこの物語にハマれないかも。そんなことが頭によぎったけれど、読み進めるうちに感情移入。
舞台はインターネット上で総合ショッピングモールを運営する企業パラウェイ。
主人公はそこに勤務する社員や繋がりのある人物たち
マーケティング部の男性はストレスで不眠症
マネージャーの女性は上司、部下の間にたち、そして家庭でのストレス抱え爆発寸前
高校でいじめにあう少年は強くなりたい行動を起こす。
トラウマを抱えあまり人と交わない女性社員
それぞれの悩みは違うけれど、なぜか自分にも当てはまる。そんな風に思えてくるはず。
読み進めながら、思ったのは
主人公たちが見つけた場所。「サードプレイス」のお話だなというもの
自宅や学校、職場でもない居心地の良いカフェ、「第3の場所」という意味がある。
ハイダウェイという意味を調べたのは、この本を読み終えてから(笑)
意味は閑静な場所・隠れ場所らしい。
なるほどまあ、私が感じたサードプレイスとそう遠くない。
プラネタリウム、植物園、水族館 等々
その場所で心を安定させる
内容的には、現在と過去の違いにふれ
問題提議をしているそんな感じもする
「セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ
・・・メンタルという言葉が口にのぼる頻度に比例しハラスメントの種類が増える」
「多様性、多様性っていうけれど、それを本当に容認出来る環境が完全に整っているわけではない」とか
「私はコミュ障です。私は適応障害です。・・・
名前がつくことで安心出来る人もいるかもしれないが、あまりカジュアルにタグづけが行われると本当に苦しんでいる人たちの姿が見えにくくなるのではないか」とか
他人にどのように接しているのか?
実は馬鹿にしたり、何か酷いことや理不尽な、ことが起こったとき、納得出来なくても、それを無理やり自分と結びつけたりしていないか。
最近『ミステリと言う勿れ』という漫画を読んだ。菅田将暉主演でドラマ化もされている。
主人公の言葉に、考えさせられることが多かった。アドラー心理学本である「嫌われる勇気」にも通じる思考
真実はひとつじゃない。人それぞれ
単なる小説に留まらない、
心理学要素もある小説だなと私的に感じた1冊
最後に
あなたの『ハイダウェイ』はどこですか?