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『川のほとりに立つ者は』を読んで

『川のほとりに立つ者は』 寺地はるな


カフェ店長である原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。

日常の中に現れた非日常。

なぜ、松木は怪我をしなければならなかったのか。
その事を知るために数ヶ月振りに
彼の部屋を訪れる。

そこで見つけたノートに書かれた文字から
謎を解いていくように、展開していく物語

まだ目覚めない松木に対する気持ちを高校時代からの友だち篠ちゃんに伝える。
「謝りたい、自分がしたことも、ほんとうの松木を知ろうとしなかったことも」
そのあとの篠ちゃんの言葉が深い

腕組みをして静かに首を振ると
「わたしはほんとうのいい人とかほんとうに嫌な奴みたいな言い方嫌いや」

        中略

「ほんとうの自分とかそんな確固たるもん誰も持っていないもん。いい部分とかわるい部分
その時のコンディションで濃くなったり薄くなったりするだけやで」
「みんな眠い時はいいかげんになったり、お腹空いている時はいらいらしたりするやん。諸々満たされている時は他人に寛容になれたり、なにかに夢中になっている時は他人に無関心になったり」

もうこれは対人関係の悩みを解決出来そうな深いお言葉ではと思わずにいられない。

そんな、篠ちゃんの高校時代のエピソード
は、この言葉を言わせるために必要だったんだろうなと思う。

結局、本当の○○って存在しているようで存在しない。嫌なことされたからってその人すべてを嫌う必要もないし、人は自分で見たことを真実と思うけれど、それ以上にも勝手に想像しがち。その扱いをどうするかは、私の課題だったり、相手の課題だったり
この物語には、障害を持つ人たちも出てくる。
考えさせられることもあるけれど
暖かい眼差しも感じる

最後にそんなことを現す
私がいちばん好きなところは、

恋人のために仕事を休みがちとなった店長の清瀬にバイトスタッフが電話で言ったこと

「オーナーから言われたんです。フォローしてやってくれって。店長はいろいろ考え込む癖があるからって言ってましたよ。育生ゲームみたいなもんやと思ってプレイしてみてって 君らの接し方次第で一人前の店長になれるはずとかなんとか」

ここ↑ これ本人に伝えちゃっていいのか?なんて思うけれど、なんかオーナーにもバイトスタッフにも愛を感じるし、この育成ゲームって表現力するのも素敵
でもこれって仕事をするうえでも大切な視点って思うもの私だけじゃないはず

そうなると私も今、育成されている途中なのか?
昨日、職場で言われた言葉に少し気持ちが沈んでいたけれど。
そうなると、現在の立場は逆に育生ゲームの途中ってこと。話を逸れたけれど


2023年 本屋大賞ノミネート作品 

今さらだけど気になる人は手にとって🎵



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