【002】みんなnoteに本音をびしばし書けててすごいなあ。どうやってるの?
noteを見ていて感じた憧憬と疑問
今日はすこし仕事をサボってnoteを見ていました。自分と同じような苦しみを抱えている人を見つけたくて、虐待、愛着障害、ptsdなどのワードで検索して…。
悲痛な叫びや孤独感が率直に伝わってくる、飾らない文章に圧倒される同時に、疑問がふつふつと沸いてきます。私と同じように、あるいは私以上に傷ついている人たち。なのにどうしてそう素直に文章を書けるんだろう?自分を正直に表現できるんだろう?と不思議に思うのです。
心の痛みを自由に書きなぐっている記事を見ると、内容には共感できるはずなのに、その文章を書けること自体には共感できなくて…感情が絡まって、妬ましくさえ思ってしまった。
記事を書くのが怖くて
プライベートの情報を一切出さないプロフィールと名前ではじめたのに、2記事目でもう誰かの目を気にしてキーボードを打つ手が重くなってくる。…うわーんもう、何が言いたかったんだっけ。どうしてこんなに自意識過剰なんだろう。日記ならいつも自由に書けるのに。でも、ここはネットですよ。どう思われるか、誤解されないか、そんなことが頭を埋め尽くして、気持ちが言葉になるまえに霧散していく。心の傷を抱えながらもsnsを活用している人は、どうやってこの心のブレーキを外したのかな?
私はずっと誤解されることを恐れています。他人のことを本当に理解することなんて不可能なんだから、誤解される前提で動けばいいのに…。ネットだけじゃなくて、対面の会話でも、作業通話でも、カウンセリングでも。さらには本業で創作活動をしているのですが、その創作内容でさえも。他人に見せることを考えると、急に自分の何かを隠そうと、装おうとしてしまいます。
誤解されることは私にとって死活問題だった
虐待から抜け出して、父親と私だけの世界から飛び出してから、他人から誤解されることをいっさい恐れない人も居ると言うことに心底驚きました。彼らはむしろわかりやすいキャラクターに自分をあてはめて、うまく人々の好感を得ている。ちょっと大袈裟に盛ってエピソードを話してみたり、あえてピエロを演じてみたり。ありのままの自分を死守することで精一杯だった私にとってはとてもとても衝撃でした。
羨ましくて、眩しくて、みようみまねで私もちょっとおどけてみたら、案外愛されたりして。ああ、これでよかったんだって。誤解されても、理解されなくても、難なく仲良くできるということを初めて知って呆気にとられました。
私は親に自分のことを理解してほしかった。殴られても、怒鳴られても、笑われても、諦めることなんてできない。いや、本当は早く諦めたかった。14歳のときには既にマンションの8階に登って飛び降りる直前まで行ったし、逆に何度も殺してやろうと思った。
虐待経験を人に打ち明けると、大抵物理的な出来事に同情してもらえる。でも、本当は違うの。殴られたことよりも、怒鳴られたことよりも、触られたことよりも。会話が通じなかったことが、一番、本当に一番辛かったんです。親だから当然金銭的に支配されている。この人に理解してもらえないと、協力してもらえないと私は生きていけない。…言葉を重ねて、やっと気持ちの霧が晴れてきました。親には最後まで私のことをわかってもらえなかった。私は、mbtiを勉強したり、エクセルに言われたことを整理して考察したり、何時間も話を聞いて、顔色をうかがって。親のことを理解しようと頑張ったのに。(少なくとも、父親のこれまでの人間関係の中では最も頑張ったと思う)
一日中言葉をつくして、どちらかが根負けするまで粘って、やっと睡眠をとることが出来ても、翌日には私の言葉なんて忘れてまたふりだしから。そんな惨めな日々を、何年も。
あう、私は今は恋人にとても愛されて、もう理解されようと努力する必要はないと知ったはずなのに、思い出していると深い深い孤独感、疎外感に苛まれてしまう。
被害者を名乗る恥ずかしさ
感情の海を潜っていると、最終的にたどり着くのはいつも「恥」です。理解されなかった部分が、恥ずかしくて、恥ずかしくて仕方がない。でも、同時に「バカにしないでよ!」って思う。誰に?自分も誰に威嚇しているのかわからない。
自分の症状や境遇を調べたり、人に打ち明けたときに帰ってくる言葉。
「そんなひどい人がいるなんて」
「どうして逃げられなかったの?」
「気にしなくていいよ」
「自分を大切にしていいんだよ」
「辛かった感情を解放しよう」
うるせえよ、知ってんだよそんなこと。ごめんなさい。汚い言葉…。でもそんな気持ちがどろどろと沸いてくる。最初は同情してほしかったはずなのに、憐れんでほしかったはずなのに。いざ認知してもらえると、その人の中では「かわいそうな人」「無力な人」になってしまう。表面上は神妙で真面目な面持ちをしていても、内面では「なんでそんな被害にあうんだろう?」とはてなマークが浮かんでいるのが見える。そのはてなマークを見ると、私の受けた仕打ちの無駄さをありありと思い知らされてしまって。
私は一生懸命戦ってきたんだよ。誰にわかってほしいのかわからないけれど、どうか誰かわかって。戦ってきた。結果負けただけ。服従なんてしてない。自己犠牲も停滞もしてない。言葉で相手を刺したし、物理的に斧の反対側で頭を殴りもした。殺すつもりで本気で殴ったよ。20回以上殴っても死ななくて、しぶとく痛い痛いと叫ぶから、「この先言うことを聞くと約束しろ、じゃないとこのまま殺すぞ」と脅したら弱々しく頷いたから、期待してしまった。あのとき殺せていたら、はてなマークを向けられることはなかっただろうか。
被害者への世間のリアクション
私はナイーブなくせして、嫌なニュースとか、怖い事件の動画を見たりする趣味があります。私のバイアスもあるかもしれないけれど、元々同じ被害者でも最終的にその人が「被害者」か「加害者」かによって、コメントの空気って全然違いません?
たとえば嫌なニュース。セクハラをうけたとか、配偶者にdvされたとか、いじめをうけたとか。そういう内容、つまり被害者が被害者のまま終わっているニュースには、「どうして逃げられなかったんだろう」「こうすればよかったのに」ってコメントがつく。
一方被害者が加害者となって終るケース、たとえば有名な凶悪殺人者などを取り上げる動画では、たいていその人の幼少期がピックアップされる。もちろん生粋の悪人もいるけれど、凄惨な虐待や、環境、差別をうけたエピソードがある元被害者の加害者たちが多い。そういう内容には、「どうして」というコメントはあまりつかない。提案もアドバイスもない。犯人を素直に憐れむ言葉でうめつくされる。
被害者だってわかってほしい。でも、被害者が被害者としてありのまま受け入れられるケースって、あまりないと思うんだよね。大抵邪推されるの。恋愛相談をしたときに「そんな人さっさと別れなよ」ってすぐ言われるのと似てる。
どうしてとか、これからこうしたらいいとか、そんなのは相手が悪いとか、そんなこといちいち言わないでよ。私はとっくに100回以上考えたよ。知ってるよ。でも、知ってるだけじゃ勝てないの。
健康な人へのひがみ
嫉妬がとまらない。虐待なんてうけない方がいい。人の悪意なんて知らない方がいい。その純粋さに私は助けられた。真に愛された人が人を愛することができる。私は純粋で幸運な人たちに感謝しなければいけない。なのに不幸を知らない人たちから純粋なはてなマークを向けられると、穏やかではいられない。
ひどいときは気を抜くと言葉にしてしまう。「あなたは環境に恵まれていたんだよ」「自分の力で生きてきたと思うな」「どうせお前も私と同じ境遇なら負けてるんだ」なんて幼稚で不毛なひがみだろうと思うけど、感情は消えてなくならない。
被害を訴える人の属性には、たいていネガティブなイメージがつきまとうと思う。顕著なのはフェミニストとか、メンヘラとか、LGBTQとか。もちろんその属性のなかに一部暴走してしまう人がいるのも事実だと思うけれど。きっとその暴走している人たちも、「はてなマーク」に抗って、戦っているんじゃないかと思う。
被害を受けてない人は知らない。
「そんなことって本当にあるの?」
「被害妄想じゃない?」
「言うてそんな悪人めったにいないでしょ。」
「心配しすぎだよ。」
「もっと苦しい人もいるんだよ。」
「でも元気そうじゃん」
そんな言葉の数々が心に突き刺さる。悪意が無いのは重々承知。でも、その純粋なはてなマークが、軽い声のトーンで、文体で放たれるからこそ、怖くて怖くて、世界全てに無視されたような感覚に陥ってしまう。
じゃあどうしてほしいの?
じゃあ、私の本当に欲しい「理解」ってなんなのだろうか?別に、自分と同じ目に遇ってしまえとは思ってないのだ。できれば、話を静かに聞いて欲しい。出来なくても恨んだりしない。聞くのが苦痛なら早く立ち去って、放っておいてほしい。もし話を聞いた上で余力があるなら、少しの協力が欲しい。そんなところかな…。
つまりは、味方になってほしい。どれくらい辛いかわからなくて当然だと思うし。そんなことよりも、「そうなんだ、でも私は君にそんなことしないよ」とか「これからは大丈夫だよ」って言ってほしいのかも。無害だって証明してほしい。あなたにとっては加害者のほうがレアキャラだろうけど、私にとってはその加害者が身近にいたから、そうでない人との区別がつかない。
本当は、自分から頼むのがベストなんだろうな。何がトラウマを刺激する引き金となるか説明して、これはしないで、これは言わないで、って。
おわりに
少しは、素直な文章が書けたかも。よかった!
でもやっぱりまだ誤解に怯えています。もし奇跡的に最後まで読んでいる人がいるならお願い。私は被害者とそうでない人とか、トラウマがある人とそうでない人とか、そういうなにか二つの分類にわけて対立争いをしたいわけじゃないんです。弱い肩書きを名乗ることで特別扱いしてほしいわけでもないんです。虐待サバイバーと名乗ることさえ勇気がいりました。まだ何にも属したくなくて。
もし最後まで読んでくれた人がいらっしゃるなら、せめてチョコが大好きな人ってフォルダに分類しておいてください!!