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大阪の飛田新地「鯛よし百番」の見学。上町台地の歴史探訪も。

先日、大阪:飛田新地の「鯛よし百番」の見学に行ってきました。

このお店は、大正の終わりから昭和の初めにかけて遊郭として建築された建物です。現在は会席・鍋料理の店として営業されています。
お店の建築について、現在は予約制の見学会を開催されています。

今日はその見学会に行くことになったいきさつや、当日は天王寺から街歩きもしたので、その様子について書きます。
ホントにホントに…鯛よし百番には念願叶って行くことができました!!

〇 元々、街歩きに興味あり
元々街歩きに興味があります。大学生時代に住んでいた京都市内では、よく街歩きをしていました。街を歩いていると、光の部分も影の部分も、歴史的な、地理的な背景も含めて感じることができます。

〇 鯛よし百番に行くきっかけ…ネットの新聞記事
遡ること約4年前。鯛よし百番のとある記事をみつけました。
・校区の小学校の生徒と保護者に、見学会を実施
・普段は(その4年前の当時は)、一般のお客さん向けには見学会を実施していない

私は、もしこのお店が、一般のお客さん向けに見学会を実施してくれるようになったら、いつか行きたい!!と思いました。
当時の私は大分市に住んでいたので、鯛よし百番の見学会に行けるのは夢のまた夢だと思っていました。

〇 元遊郭について、街歩きしたいということを思い出す
数年前から大阪に住んでいます。「まいまい京都」というツアーで、京都の橋本遊郭の見学に行きました。(この内容についても、また記事にしたいです。)
そうだった。私は元遊郭の見学に興味がある。
では、大阪:飛田新地の「鯛よし百番」の見学はどうだろう?
4年前は、一般向けの見学会は実施していなかったけど…

ダメ元で、お店の公式ホームページを見てみました。
『鯛よし百番 見学申込サイト』
おおーっ!見学の申し込みができるとは!

しかも、普段は人気ですぐ予約が埋まるそうですが、私がサイトを見たときはちょうどタイミングがよく、申し込みができました。
迷うことなく、秒で申し込み。

ちょうどその頃、noteの記事上でへんいちさんとコメントのやり取りをしており、へんいちさんも遊郭などの文化的背景にとても興味関心を持っていることを知りました。
へんいちさんとは、私のKindle著書『転機の旅』(2024年12月出版)で編集をしていただいたご縁があります♪

「へんいちさんにも、この旨をお声掛けしよう」
そして、一緒に鯛よし百番に行くことに。

元遊郭の見学に行くという一面だけではなく、天王寺から街歩きをして歴史的な、地理的なことを感じ取りに行くことにしました。

〇 当日 「上町台地」天王寺から歩く
大阪の歴史を語る上で、上町台地はとても重要な拠点だそうです。
上町台地は縦長の台地で、その昔は両サイドともに海だったそうです。
その台地に6世紀末、聖徳太子が「四天王寺」を建立しました。

今回の街歩きでは、四天王寺付近から街歩き。さて、「台地」を感じ取ることができるのか…?

〇 四天王寺
四天王寺では、今回は有料エリアに入ってみました。
五重塔の中は、階段で上がれました。

五重塔

四天王寺には、聖徳太子が四天王寺を創建する際に設けた「四箇院の制」と呼ばれる制度があります。その4つの院とは、
「敬田院」「施薬院」「療病院」「悲田院」です。
それに関連する施設が現在に残されているか?調べてみました。

四天王寺の近くにある『愛染堂勝鬘院』は、元々聖徳太子によって四箇院の中の一つである「施薬院」として建立されました。
よし、愛染堂勝鬘院に行ってみよう。

〇 愛染堂勝鬘院
金堂の後ろにそびえ建つ多宝塔は、推古天皇元年(593)聖徳太子によって創建されました。その後、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失しましたが、慶長2年(1597)豊臣秀吉により再建されました。
大阪市最古の木造建造物として国の重要文化財に指定されています。

多宝塔


〇 上町台地を感じる坂道

四天王寺付近は上町台地なので高低差があり、坂道もたくさんあります。
この写真の坂道を下ったところは、昔は海だったということ。
「台地」を感じることができました。

上町台地沿いの坂道。
この先は、昔は海だったことが伺える

へんいちさんと、「ここは台地ですね」や、「ここは海」、「ここにこのお寺が建立されたということは…」とワイワイ話し、歴史を紐解きながら、知識と地理と歴史を繋げながら街歩きをしました。知識がどんどん繋がっていって、楽しい!!

〇 一心寺
上町台地、茶臼山付近の一心寺にも立ち寄りました。
1614年の大阪冬の陣では、徳川家康の本陣がおかれていました。

今回、写真は撮っていませんが、見どころの多いお寺でした。

一心寺の前には、このような道しるべがありました。昔の人は、このような道しるべを目印にしていたんですね。

一心寺前 道しるべ

〇 通天閣が見えてきた
天王寺動物園の北口付近を歩いていると、通天閣が見えてきました。

通天閣が見えてきた!

〇 通天閣から、飛田新地へ
通天閣を通り、付近で串カツを食べました♪

いよいよ、通天閣が近い

商店街を通り、いざ飛田新地へ。

〇 鯛よし百番に到着
見学会では、丁寧に建物の意匠や歴史的な背景など、たくさんのことを解説していただきました。

外観
応接間の襖
クラウドファンディングで修復された襖絵
見上げると月が見える

やはり、街の歴史的な背景を考えると、「建物が豪華絢爛だった」の一言では表現できない、言葉に表現できない複雑が点はあります。
そのことについても踏まえた上で、丁寧に解説していただきました。

言葉に表現できない何か…その複雑さ、衝撃も含めて、へんいちさんがその日のことを記事にしてくださいました。
こちらの記事も合わせてぜひ!

〇 「鯛よし百番」保存修復プロジェクトの杉浦さん
当日、見学会のガイドをしてくださったのは、同店の保存修復プロジェクトを手掛ける杉浦さんという方でした。

4年前、私が記事で見た「校区の小学生と保護者への見学会」も杉浦さんが手掛けてらっしゃいました。私はそのことを思い出し、見学の最後に杉浦さんとお話ししました。

私「以前、校区の小学生と保護者への見学会を開催されましたよね。あの記事を拝見しました。当時は一般の見学が開催されていなくて…。今回、このような機会があり、見学できて嬉しいです。ありがとうございます。」

杉浦さん「そうだったのですね! 当時は、クラウドファンディングの方に対してに見学会はしたことがありましたが、一般の方へは開催していなかったんです。まずは校区の小学生とその保護者に見学会を開催しました。そこから始まって、現在に至ります。」

私は、「なるほど!」と思いました。現在は定期的に開催されている見学会ですが、はじめは一般の人向けに開催していなくて、その「一歩」があった。その積み重ねで現在に至る。

私はキャリアコンサルタントとしての一歩をなかなか踏み出せずにいますが、その「一歩」のヒントになった気がします。

〇 帰路 あべのハルカス
飛田新地は、昔は四方を壁で覆われていました。今は壁が無いところもありますが、ところどころ壁の遺構が残っています。
壁の内と外では、景色ががらっと変わります。
壁の内では、2階建ての料亭がずらっと並んでいます。「昔にタイムスリップしたようだ」と表現する人もいるほどです。

帰路。飛田新地の北門を出て、壁の外へ。歩いてすぐの所から、近代的なあべのハルカスが見えました。

あべのハルカス

#旅のフォトアルバム

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にぐまっち【キャリアコンサルタント資格を活かして一歩踏み出している専業主婦】
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