あの頃、ただ野球がうまくなりたかった


 生きていて無駄な時間を過ごしたくない。すべての時間を意味あるものにしたい。そんなたいそれたことを思い始めたのは、小学生のとき野球を始めてからだ。


 野球がうまくなるためには、当然練習が必要だ。チームでの練習だけでなく、個人練習が充実してこそ、技術は磨かれ、試合での活躍に結びつくと思う。普段の生活の中でどれだけ、野球の技術に結びつくことができるのか。そこが大切だった。


 こういった考えに至ったのは、完全にイチロー選手の影響だ。自伝やら本を読み漁り、イチロー選手のことを知り、そのストイックさに憧れ、「 継続は力なり」という言葉に出会い、早速紙に記し、部屋に貼り、おれもイチロー選手みたいに野球うまくなるんだと本気で思った。イチロー選手は小学生のとき、日々バッティングセンターで父親とともに練習に励んでいた。野球への情熱をビシバシ感じた。


 ぼくの家の近所にバッティングセンターはなく(海辺のド田舎だった)、あったとしても通いたいなど親には言えなかった。そんなお金あるかいな!となるから。それでも、できることはある、そう信じて個人練習をしてきた。以下、ぼくが行った練習内容だ。野球に取り組む方々の参考に少しでもなったら嬉しいな♡


①野球の基本、いや、スポーツの基本は足腰だ!走るんだ!


 時間を見つけて、実家から徒歩五分にある海に行き、浜辺を走った。足が砂にとられたが、それこそが砂浜RUNの醍醐味だ。足腰よ強くなれと願い走った。朝走ると最高に気持ちよかった。家族で出かけ、外食などの帰りは、途中で降ろしてもらい、家まで走る。遠すぎず近すぎずの場所で降りて走る。家族と少し揉めたこともあったが、今こそ時間を活用しなくては、時間がもったいない、そして外食で摂ったカロリーを消費しなくては(謎)の思いで、家族を説得し、降車しRUN。ストイックをはき違えてるよね。なんか、がんばってるじぶんに酔ってるってうか、ナルシズムを感じる。が、走った走った走った。


②両目を見開け!本質を射抜け。


 野球は、白球を投げたり捕ったり打ったりするスポーツだ。まず大切なのは目だ。動く白球を目で捉え、身体が反応する。だから、動体視力を鍛えなくてはいけない。車の助手席に座った際は、すれ違う車のナンバープレートを読みとった。それらの数を足し算ひき算をしたりした。

 そして、観察眼だ。野球には心理的駆け引きがある。騙し合いがザラにある。正々堂々の中にズルさがないと、相手の裏を掻かないと勝てない試合がある。通り行く人、普段学校で会う人々を観察し、服装や所作から人物像もしくは心情を想像する。ジャスコや学校で実戦した。学校では、クラスメイトを見つめすぎたら、気持ち悪がられた。こともあった。


③脳内実況中継付き練習


 自宅の庭で素振り(1人でバットを振る練習)をする場合、脳内で実況中継をつける。試合のイメージを湧かすことで、一振り一振りに意味をもたせる。逆転サヨナラ満塁ホームランまでのシナリオを浮かべ、そこに向かいドラマをつくる。むちゃくちゃ都合のシナリオだと思う。そして、シナリオ通り、逆転満塁サヨナラホームランを打ったぼくは喜び、満面の笑みでチームと勝利を分かち合う。

 壁に向かってボールを投げることもよくした。それも同様に実況中継つき。自らをエースに見立て、壁に向かって全力でボールを投げ込む。バッサバッサと三振をとり、一人で小さくガッツポーズをする。汗が気持ちいいぜ。爽やかに帽子をとる。そして、ポケットからよれよれのハンカチを出して、顔の汗を拭く。もはや、ひとり遊び!の域。



 みなさん、お気づきの通り、ぼくには一緒に練習する友達がいませんでした。グローブやバットや壁は最高の友達でした。たまに付き合ってくれる友達はいました。が、モチベーションの関係であまり無理には誘えなかった。だから、基本1人なのです。もはや1人で勝手に楽しんでました。野球がうまくなりたい気持ちと共にさびしさを紛らわせていたのかもしれません。イチロー選手という憧れがいつも胸の内にあり、何かを続けることで見える世界を見たかった。

 別に途中でやめてもいいじゃん!って今なら思うけど、単純明快アホ人間のぼくは、イチロー選手の影響をモロに受け、野球が好きだったしで、1人練習を続けたのです。



④野球関係の本しか読まない


 どのスポーツも同じだが、ルールを把握し知識が必要だ。野球もそうだ。プレイの知識はもちろん、練習方法、技術アップへの道、それらを知って、練習や実戦で試して野球がうまくなっていく。

 空き時間は、極力野球関係の本だけを読むことにした。常に野球に関する情報を入れた。

 ここでだんだんと、道が逸れる。最初は技術関係の本を読み漁った。特に野村克也さんの本は大変参考になった。何冊も出版されていた。キャッチャーをしていたので、目から鱗のことばかりで、何度も読んで配球のことや打者心理や投手心理を学んだ。そこから、プロ野球選手の自伝やノンフィクションにハマり、技術関係の本をほぼ読まなくなる。ただ、それぞれのプロ野球選手の野球への想いを感じることができた。西鉄ライオンズが好きになり、三原脩監督や稲尾投手や豊田泰光選手の本を読み漁った。もはや、趣味の世界。読んでるとき、野球がうまくなるとか考えていなかった。遂に漫画の世界にいく。ドカベンを読み始め、そのまま続編の大甲子園を読み、そのままドカベンプロ野球編に突入し、スーパースター編の途中まで読む。水島新司ワールドは素晴らしすぎる。アイシールド21を夢中で読んだ。アメフト!シャーマンキングにもハマる。麻倉葉!ワンピース最高。


⑤野球のテレビゲームをして実戦感覚を掴む。


 プレイステーション2で、実況パワフルプロ野球(以下:パワプロ) というゲームによく取り組んだ。実際のプロ野球選手が登場し、操作して野球の実戦感覚を掴んだ。土日の朝4時頃から始めるなど無茶なこともしたが、楽しく野球の実戦感覚を掴んだ(もはや、ゲームしたいだけ!)。一時期パワプロに飽きたので、ドラクエに取り組み、5と8にドハマりし、親戚のドラクエ好き兄ちゃんに教えを請うたり、攻略本読んだりと充実した時間を過ごした。ラチェット&クランクにも情熱を注ぎ取り組んだ。

 


 ストイックなのかストイックじゃないのか怪しい部分もあるが、野球が好きであることに変わりはなく、チーム練習にも全力で取り組んだ。

 小学6年になると、キャプテンを任されるようになった。幼稚園からの付き合いのエースとバッテリーを組み、試合に臨んだ。リーグ戦で4試合して、がんばって2回勝てるようなチームだったと記憶してる、負けまくった覚えもないし、勝ちまくった覚えもない。ビヨンドマックスという、芯の部分がゴムで、打球がよく飛ぶバットが巷にあふれ、たまーに使った。たしかに打球は飛ぶが、金属バットのカキーンという音と感触が好きだったので、ビヨンドはしばらく使わなかったが、皆使っていた。チームメイトは、ランニングホームランを量産していた。それをみて、単純なぼくはビヨンドにまた手をだす。ランニングホームランを打つことはできたので、ビヨンドに感謝してる。


 実際問題、日々の自主練習が試合に役立ったのかはわからない。「継続は力なり」 が証明されたのかもわからない。圧倒的な結果があれば分かりやすいんだが、そんな結果は出していない。少しは活かされたと思っている。さまざま自主練習を継続する中で、横道にそれたこともあったが、あの頃、ぼくはただ野球がうまくなりたかった。それだけだった。野球で大活躍したい気持ち(あわよくば怪物バッターとか将来のプロ野球選手とか呼ばれたかった!そんなことなかったけどね)、イチロー選手への憧れ、がんばる自分へのナルシズム。


 そんな中、イチロー選手はメジャーリーグでヒットを量産していた。その姿を見て、また憧れは増していった。小学校の卒業文集の将来の夢のところには、プロ野球選手と書いた。

 当時のぼくの人生計画では、中学校では特に活躍せず、高校ではサードに転向し強肩強打としてそこそこ活躍するも甲子園には行けず、高校卒業後、独立リーグで5年間プレイし、中日ドラゴンズにドラフト5位で入団、3年かけて1軍に這い上がり、サードのレギュラーをとり、10年間現役をして、1078本のヒットを打ち、ゴールデングラブ賞2 回をとる。引退後は、地元に帰り、漁師をするという計画だった。


  ぼくは今、プロ野球選手にはなっていない。特に後悔もない。あの頃の野球への熱は今も、かたちを変え、ぼくの胸の内にある。熱をたぎらせて何かをしなくちゃ、突き抜けなきゃ、本当にほしいものは手に入らないんだと、最近思う。歳を重ねても、好きなことに熱狂しようぜ!の精神持っていたい。プロ野球選手にはなれなかったけど、何かに熱狂する感覚は知れたと思う。イチロー選手、そして、野球よ!「ありがとう。」

 








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