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かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(1/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

本稿は、ヴァルドルフ教育の「教育原則」(前稿)を踏まえた筆者の教材研究の結果、『竹取物語』に既知の「言葉遊び」だけでなく「数(かず)遊び」を見出したことの報告です。
心情が豊かに描かれ、悲しい別れの結末で知られる物語ですが、一方で洒落た「言葉遊び」が随所に織り込まれています。
筆者は、それに加えて、物語全体が「数あそび」によって成立しているのではないかと気づきました。
中学1年生(7年生)では、「古典に親しむ」として、仮名遣いなど、基本的、入門的なことの修得が目指されますが、作品に対する深い洞察は、古典理解の面白さを深めてくれるはずです。
本稿では、ごく簡潔に報告します。ご興味が湧かれた方はぜひ原文にあたってみてください。

1 『竹取物語』の概要
⑴ あらすじ
主人公は、ある日、翁(おじいさん)によって竹の中から見つけ出され、そのかがやくような美しさから「なよ竹のかぐや姫」と名づけられます。
姫の美しさに心を奪われて求婚してきた男(貴公子)たちに対して、姫はそれぞれに入手至難の望みの品をもってきた人と結婚すると約束しますが、誰も姫の望みの品を得ることはできません。
その後、時の帝(天皇)からの求婚も断ってから三年、中秋の名月の夜、月から迎えが来ます。屋敷を守る兵士たちの抵抗も虚しく、翁や媼(おばあさん)、帝と別れ、姫は月へ帰っていきます。

⑵ 『竹取物語』の構成
『竹取物語』は、平安時代に成立したとされる現存する日本最古の物語です。全体は大きく三つの部分に分かれ、その分量は以下のとおりです。
1 かぐや姫の誕生と成長(約14%)
2 五人の貴公子の求婚と帝の求婚(約62%)
3 かぐや姫の昇天(月へ帰る)(約24%)

⑶ 「言葉遊び」
『竹取物語』の中の「言葉遊び」の一部を紹介します。
姫が月へ帰ったあと、帝はかぐや姫からの手紙と不死の薬を駿河の国にある天に一番近い山の頂上で燃やすよう命じます。その命を受けた使者がたくさんの士(つはもの)を引き連れてその山に登ります。
不死(ふし)の薬を燃やした山、たくさん(富)の士が登った山、ということから「富士山」と名づけられた、と物語は結ばれます。
五人の貴公子たちのそれぞれの失敗談にも言葉あそび(オチ)があります。
例えば、「燕(つばくらめ)の子安貝」を求められた中納言いそのかみのまろたりが、燕の巣を探って、つかんだと思ったときに落下します。痛みをこらえて開いた手には古糞が握られており、「かひ(い)なし」と嘆きます。(〈貝がない〉と〈(がんばった)かいがない〉)をかけています。その後、姫からお見舞いの歌をもらい、「かひ(い)あり」となりますが、やがて亡くなってしまいます。
『竹取物語』の中で詠われる和歌の中にも言葉遊びが入っています。(略)

2 数(かず)遊び
⑴ 「」人の貴公子
物語の半分以上を占める中盤は、人の貴公子の求婚失敗談です。人ともモデルとなった権力者がおり、彼らに対するあてこすりという面もあるようです。人全員が、姫の望みの品をもってこれず、隠遁したり、大けがをしたり、亡くなったりして、去っていきます。
ここでは、「」が重要な役割を果たしています。
龍の頸(くび)の玉は「」色に光りますし、翁は、かぐや姫を宮仕えさせるなら、かうぶり(「」位の爵位)を賜わせると言われます…などなど。(くらもちの皇子が鍛冶の匠を六人召し、燕は尾をささげて七度めぐる…など例外もありますが、これらの数の意味を筆者はまだつかめていません。それでも、物語の中盤を「」が支配していることは明白です。)

⑵ 「」の意味
『竹取物語』は中国や天竺(インド)との関わりも指摘され、「」には、行(木・火・土・金・水)や、大(地・水・火・風・空)との関連を見ることができます。また、「感」や「味」などとの関連を見るなら、より地上的な意味を見出すこともできるかもしれません。
姫が求めた入手至難の品を、「行」に照らし合わせれば、「仏の御(みいし)の鉢⇒」、「蓬莱(ほうらい)の玉のの茎)⇒)」、「鼠の皮衣⇒」、「龍の頸(くび)の玉(難)⇒」となります。「燕の子安貝」は「金(木)」でしょうか。完全にあてはめることは難しいのかも知れません。(「味」に照らし、「詰めが「甘い」失敗」、「「苦い」思いをした」…などとしても、完全には当てはまりません。)

以上のような読み解きの可能性とは別に、筆者は、「」は広く物語全体に対して意味をもつものではないかと考えます。(2/2に続く)

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