沖廣晴美

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『教育の基礎としての一般人間学』森章吾-ゲリラ的質問の会を想像して-

森章吾さんが企画していた「『教育の基礎としての一般人間学』のゲリラ的質問の会」。 もし開かれていたら、…と想像して、その一端を追悼として書きました。 Mは森さんをイメージしたものですが、おそらく森さんならもっと開かれた答えをしたことでしょう。筆者は、35年来の知人・友人として、kindle版の訳と勉強会でのレジュメを読み返し、この稿を書きました。くだけた表現も、親しさや敬意の表れだと思ってご海容くださると幸いです。ただし、内容についての文責はすべて筆者にあります。 問い 「

    • 『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』読書会 まとめ(4/4)

      4 各人が自らの天分において「愛」をもって「協働」する、その象徴としてのキリスト像  さて、最後に「協働」をめぐるシュタイナーの驚嘆すべきキリスト像とその像の認識によって私たちにもたらされるものについて考察してみたい。  その像とは、キリスト存在自体が高次の存在たちの「協働」によって成立しているというものである。以下、読者の方々にもその成立の経緯を簡潔にたどっていただき、〈キリスト〉存在に対する正しい注意や畏敬などがご自分に呼び起こされるか試みていただきたい。 ⅰ 二人

      • 『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』読書会 まとめ(3/4)

        3 『パウロ書簡』における人類(人間)の課題(現在を含む)  2で述べてきたギーターの時代の人類の課題は、パウロ書簡の時代(紀元後すぐ)に、変容をとげる。(ギーターの課題は第四文化期への移行の際の課題であるが、パウロ書簡は第四文化期が1/3の過ぎた時点にあり、その課題は第五文化期の現在においても継続している。) ⑴ 【自らの魂を〈キリスト衝動〉によって貫き、魂内においてアーリマン&ルツィファーと闘い、バランスをとること】  自らの覆いや覆いとの関係から解放された(秘儀参

        • 『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』読書会 まとめ(2/4)

          2 『バガヴァッド・ギーター』における人類(人間)の課題 ⑴ 【魂が(外的)覆いや覆いとの関係から解放されること】  シュタイナーによれば、『ギーター』には、〈ヴェーダ〉、〈サーンキヤ哲学〉、〈ヨーガ〉という太古インドの三つの精神潮流が合流している。 サーンキヤ哲学によれば、当時の人類の課題は、プルシャ(魂)がその覆い(プラクリティ)及び覆いとの関係(グナ)から解放され、魂的に進化することにあった。  シュタイナーは、ギーターの物語の時代を紀元前10~7世紀(第四文化期初

          『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』読書会 まとめ(1/4)

          Ⅰ アントロポゾフィー(人智学)協会の設立に際して  シュタイナーはアントロポゾフィー協会の設立に際して、現代の私たちの文化や精神生活に深く関わる人類の二つの叡智について5日間の連続講義を行った。(1912年12月28日~1913年1月1日、年末から正月にかけて!)  その二つの叡智とは、太古東洋の偉大な詩編『バガヴァッド・ギーター』(神の詩という意味、以下単にギーターと記す)と(西洋)キリスト教の出発点『パウロ書簡』である。シュタイナーはこの二つの叡智の相違、またそれらの

          『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』読書会 まとめ(1/4)

          かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(2/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語)

          2 数(かず)遊び (1/2)からの続き ⑶ かぐや姫の「三」 物語中盤では「五」人の貴公子の失敗談をはじめとして「五」が主な数でした。(前回に追加:くらもちの皇子は、鍛冶の匠たちと一緒に「五」穀を断って、偽物作りに励みます。) これに対して、序盤〔1 かぐや姫の誕生と成長〕では、かぐや姫の「三」が主たる数となっています。 翁が根元の光る竹の筒の中を見ると、「「三」寸ばかりなる人」が、とてもかわいらしい姿でそこにいます。 この児(ちご)は「「三」月(みつき)ばかり」で大人に

          かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(2/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語)

          かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(1/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

          本稿は、ヴァルドルフ教育の「教育原則」(前稿)を踏まえた筆者の教材研究の結果、『竹取物語』に既知の「言葉遊び」だけでなく「数(かず)遊び」を見出したことの報告です。 心情が豊かに描かれ、悲しい別れの結末で知られる物語ですが、一方で洒落た「言葉遊び」が随所に織り込まれています。 筆者は、それに加えて、物語全体が「数あそび」によって成立しているのではないかと気づきました。 中学1年生(7年生)では、「古典に親しむ」として、仮名遣いなど、基本的、入門的なことの修得が目指されますが、

          かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(1/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

          (予告)かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか ー 自由ヴァルドルフ教育の「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

          はじめに 自由ヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)の教育目標は、大きく言えば、「健康生成(サルトジェネシス)」だと言えます。「ゆとり」でも、「学力向上」でもありません。(教育理念は「自由への教育」) この教育目標は、教師の子どもたちへの働きかけのすべてに行き渡らせるべきものです。シュタイナーの次の言葉を見てください。 ここで言う「健康」は、「心と体の健康」という言葉にはおさまりません。シュタイナーの人間観、とくに人間を構成する要素への深い洞察に基づくものです。人間を構成する

          (予告)かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか ー 自由ヴァルドルフ教育の「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(9/9)

          Ⅶ 『自由の哲学』から人智学(精神科学/霊学)へ 本稿では、『自由の哲学』から人智学(精神科学/霊学)へのつながりとして、特に修行及び意識魂の問題を考察し、最後にゲーテの格言詩を紹介したいと思います。 1 修行とのつながり ⑴ 直観的思考(理念的直観)の把握が修行のはじまり シュタイナーは「補足 最終的な問い」の新版への補足2で次のように言います。 シュタイナーの後期の著作を見ると、直観的思考(理念的直観)を把握することが、精神世界へ至るための修行の第一歩でもあり、最重要

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(9/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(8/9)

          Ⅵ 補足  ー  人間存在の二重性、認識の根底、個と認識・愛・自由 本稿では、これまでの考察でとりあげられなかったいくつかの問題について補足します。 1 人間存在の二重性・二段階性 自由の問題が、人間のさまざまな二重性・二段階性にかかわっていることはこれまでにも見てきました。 例えば、思考と生体機構の二重性、認識と意志の二段階性にかかわる身体・意識での二重性。また、動機の身体的要因・起動力と非身体的要因・動因との最高段階での重なりによる二重性。さらに、認識における、人間と世界

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(8/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(7/9)

          Ⅴ 各章の二項対置による簡潔な要約 『自由の哲学』第2章の冒頭で、ゲーテの『ファウスト』の詩の一部が掲げられ、人間は二つの欲望・誘惑の間にいる存在であることが紹介されます。 シュタイナーの「一元論(自由の哲学)」も、19世紀末までの様々な思想・哲学との対置関係を通して、一歩前に踏み出す哲学となっています。 「一元論」は、それらの思想・哲学と対立しつつも、それらを「必要な前段階」だとして、最終的には「一元論」へ収斂していきます。 未熟な(未自由な)人間が自由な人間へと進化する

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(7/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(6/9)

          Ⅳ 「人間意識の自己了解(理解)」と「思考の観察」 自由は、最高段階の動機(起動力と動因の重なり)による行為において認められます。 起動力の最高段階「概念的思考(実践理性)」に至るには「自己意識の拡充」が、動因の最高段階「純粋に直観把握された個々の倫理目標」に至るには「思考の強化・高貴化」が必要ではないかと見てきました。 本稿では、「自己意識の拡充」を、『自伝』の「人間意識の自己了解(理解)」との関連で、「思考の強化・高貴化」を『自由の哲学』第一部の「思考の観察」との関連で考

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(6/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(5/9)

          Ⅲ 理念的直観の実現 1 自由な行為の「動機」としての理念的直観 ⑴ 人間の生体機構の二重性(意志の自由の二段階性) 人類(人間)進化の方向は「理念的直観の実現(=自由)」に向かっており、進化途中の現在の私たちにも理念的直観の実現という意味で自由はあるということを見てきました。 理念(思考)が人間の生体機構・意識において直観され動機となり、そこから意志行為が発動する際、理念(思考)と人間の生体機構には次の二重性があります。 このとき、生体機構内で生じることは、思考の本質(内

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(5/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(4/9)

          Ⅰ 『自由の哲学』の「自由」とは何か その2  1 いわゆる「選択の自由」とは異なる  2 自由とは、人類進化の先の「本来の意味での人間であること」である   (人類進化は、「理念的直観の実現」の方向に向かう)  3 それ故、進化途上の現在の人間にも自由(理念的直観の実現)はある  4 理念的直観は倫理性に浸されており、自由と倫理は一つである   本稿では、3と4について考察します。 3 進化途上の現在の人間にも自由(理念的直観の実現)はある ⑴ 現在の人間にも自由(理念

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(4/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(3/9)

          Ⅱ 『自由の哲学』の「自由」とは何か その1 既述したように、『自由の哲学』は、読者自身の思考のトレーニングがあってはじめて理解できるように構成されています。 今回、それなしで理解できると思われる範囲で、『自由の哲学』の「自由」を以下の4点にまとめてみました。  1 いわゆる「選択の自由」とは異なる  2 自由とは、人類進化の先の「本来の意味での人間であること」である   (人類進化は、「理念的直観の実現」の方向に向かう)  3 それ故、進化途上の現在の人間にも自由(理念的

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(3/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(2/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』 Ⅰ 「自由な人間」とはどのような人間か その2  本稿では、第13章と第14章にある「自由な人間」、第9章の「自由な人間の基本命題」について紹介します。 3 〈善の理念〉が自己の本性の内に移動した人間 【13章】 自由な人間にとって、善は、為すべきことではなく、行いたいと欲する事柄です。 彼が、善を実現しようとするのは、それが彼にとっての最大の喜び(快)だからです。彼はただ自らの欲求を満たそうとするだけで、よい(善い/倫理的である)の

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(2/9)