(予告)かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか ー 自由ヴァルドルフ教育の「教育原則」を踏まえた教材研究(国語)
はじめに
自由ヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)の教育目標は、大きく言えば、「健康生成(サルトジェネシス)」だと言えます。「ゆとり」でも、「学力向上」でもありません。(教育理念は「自由への教育」)
この教育目標は、教師の子どもたちへの働きかけのすべてに行き渡らせるべきものです。シュタイナーの次の言葉を見てください。
ここで言う「健康」は、「心と体の健康」という言葉にはおさまりません。シュタイナーの人間観、とくに人間を構成する要素への深い洞察に基づくものです。人間を構成する要素には階層があり、「教育原則」としては、教師のある要素(における取組)が子どもたちの一つ下の階層の要素に働きかけ、それに影響を与え、それによって子どもたちの健康を創り出すのです。(「自我」⇒「アストラル体」⇒「エーテル体」⇒「肉体」、※「自我」を超える構成要素についてもシュタイナーは言及している。)
今回、小児科医であり、シュタイナー学校の学校医を務め、スイス・ドルナッハのゲーテアヌム精神科学自由大学医学セクション代表であったミヒャエラ・グレックラー氏の米国サクラメントでの講義と質疑応答(『医療と教育を結ぶシュタイナー教育』ミヒャエラ・グレックラー/石川公子・塚田幸三訳 群青社 2006)に触発された、筆者の実践を報告します。
グレックラー氏は、講義の中で「人間は自然法則にしたがってつくられているだけでなく、人間特有の各芸術を貫く諸法則によってもつくられている」というシュタイナーの知見を紹介し、建築、彫塑、絵画、音楽、詩(言葉)、オイリュトミーなどの芸術活動が、人間のそれぞれの構成体に働きかけ、人間全体を健康にすることについて明らかにします。
また、『21世紀に課せられた子どもの感覚』(ミヒャエラ・グレックラー/入間カイ訳 おもちゃ箱 2007年)の中では、子どもの健全な発達をささえる「誠実さ、真実、透明性、愛に根差した理解、他者の尊厳と自立性に対する尊重」などの精神性について言及がなされています。
これらの芸術活動や精神性と並行して、グレックラー氏は「教育原則」の下での、子どもたちを健康にするための教師の具体的な働きかけとして、「アイデンティフィケーション(自己同一化)をかけた教材研究」「柔軟性」「リズム」を提示します。その後、先に述べた「教師の微笑」を加えます。
「教育原則」によれば、教師の「アイデンティフィケーションをかけた教材研究」は子どもたちの律動的な構成要素(アストラル体)に「柔軟性」をもたらし、教師が(自らの感情を害されることから脱し)、「柔軟性を失うことなく事にあたること」が子どもたちの「リズム(領域にあるエーテル体)」を強め、教師の素敵な「リズムある習慣(挨拶や授業の始め方・終わり方など)」が、子どもたちの「肉体」を強化し、健康にするというのです。(このうち、「(生活)リズムが健康な(肉)体をつくる」については一般的な理解が可能でしょう。)
以上のグレックラー氏の示唆の内、本稿では「アイデンティフィケーション(自己同一化)をかけた教材研究」(教師の「自我」⇒子どもたちの「アストラル体」への働きかけ)を踏まえた筆者の実践について報告します。
しっかり準備した授業が、授業者の自信や余裕を生み出し、子どもたちの反応によって手ごたえを感じることは、授業者であれば誰もが経験し得ることでしょう。
教師が教える内容(テーマや教材)と格闘し、葛藤の過程を経て意識的にそれと結びつくことが子どもたちを柔軟で健康に、そして自由にするのです。
そのことは次のようにも言えるはずです。
本実践においては、教材研究において教師自身が格闘し葛藤することで得た成果内容を生徒に知識として与えるのが目的ではありません。
次回から7年生~9年生(中学1年生~中学3年生)の国語(古典)における教材研究の報告をしたいと思います。以下の古典文学作品を予定しています。(シュタイナー教育においては、年齢に伴う発達段階が十分に考慮されるべきですが、今回は現行の日本の公教育の教科書掲載に倣って報告します。)
竹取物語 (中1・7年生)
平家物語(徒然草) (中2・8年生)
おくのほそ道 (中3・9年生)
他