先生の、語呂合わせ。
「勝」が入っていて強そうな名前だった。
それなのに、先生は最初の授業で教室に入る時つまずいて、よろけた。
すぐに体勢を立て直して、一言。
「みんなの代わりに、コケといたよ。」
私たち生徒は一瞬静寂し、その後、ためらうような笑いが漏れる。
今思い返すと、その先生は「きょうの料理」で有名な料理研究家、土井善晴先生に似ていた。土井先生の柔和さに、華奢さを添えると、その先生が完成する。
私は高校卒業後、とある予備校に1年間通っていた。
高校在学中は「どこかは受かるだろう」という甘い考えがあった。
結果、第一志望どころか、受けた大学全て落ちた。
高校生と大学生の間は、地続きじゃなかったのだ。
いわゆる「浪人中」、失意の1年間を過ごした。
嘘。
実は、楽しいこともあった。
まず、友達。
予備校では、親睦を深めるイベントは皆無だ。それでも、同じ世代で、同じ教室。志望校は色々でも、わざわざもう1年勉強して受験しようとする人同士だ。声さえかければ自然と仲良くなれた。
親友と呼べる人もできた。彼女とは気が合い、大体の授業を一緒に過ごした。自習室で勉強し合った。息抜きに1度だけ、一緒にカラオケに行ったこともある。浪人生なのにカラオケに行っているという罪悪感で、自分が歌っていない時は、お互い数学の問題を解いていた。
その友人とは、今でも結婚式に出席したり、年賀状のやり取りをする縁が続いている。
そして、予備校の授業は全て面白かった。
予備校の先生の能力は、教えることに全振りしている。だから授業を聞いていて気持ちがいい。その科目の新たな魅力が見えてくる。
冒頭の、土井善晴先生に似ているのは、世界史の中でも東洋史を担当する先生。一方、西洋史を担当していた先生は元気なベテランの女性だ。
ここから、仮に西洋史の先生を「西先生」、東洋史の先生を「東先生」と呼ぶことにする。
元気な西先生は黒板の筆圧が強い。
3枚ぐらいの黒板をいっぱいに使って大きな世界地図をいつも書き、マイクがいらない大きな声の授業だった。もう迫力満点。前日お酒を飲みすぎたという日は、少し掠れた声を精いっぱいに張り上げる。いつもそこに、西先生の劇場があった。
東先生は、西先生とは対照的だった。
終始穏やか。それなのに、面白い。
元々、東洋史には少し苦手意識があった。特に中国史はとにかく人名に漢字が多くて書きづらい。読みづらい。高校在学中は、何度も書いて覚えていた。
それが、東先生の手にかかると「人間の物語」となった。
先生は、中国史に出てくる人々の情けない一面を教えてくれた。ある皇帝が開いた、怪しげなパーティ。大好きな女の子を笑わせたくて、国を滅ぼした皇帝。絵師にチップをはずまないから不細工な肖像画を描かれた美女。
カクカクした中国史に、人間の血が通った。
東先生ならではの授業、もう一つの特徴は、語呂合わせだ。
「年号+出来事」の組み合わせを覚えておくと、物事が起こった順番や他の地域との繋がりが見えやすくなる。だから数字の羅列を語呂合わせで覚えておくことは大切だった。
東先生は、独自の語呂合わせを披露して、その後一人で「フフフ」と満足げな微笑みを浮かべた。クスッと笑えるような語呂合わせから、当時18歳の私が赤面するようなものまで、多彩だった。
西洋史と東洋史、2人の先生の授業は交錯し、空間も、時間も一つにつながった。まるで、その時間だけ、空から世界を眺めているようだった。
私は先生方が織りなす世界史に夢中になった。
夏期講習中、私は東先生の授業を受けていた。
東先生は、なんだか体調が悪そうだった。
穏やかに授業は進んでいくものの、数分に1度は咳き込んでいた。
授業の内容よりも「大丈夫かな…」という心配が先立ってしまう。
顔色もいつもより良くなかった。この暑さでやられてしまったのだろうか。
私は、東先生の授業後に、時々講師室に質問に行っていた。
この日は、講師室に行くかどうか、迷った。
あんなに体調が悪そうなのに…行って大丈夫だろうか。
今日はやめとこうかな…。
足が出口を向いた途端、ある考えに襲われた。
「東先生に、もう会えないかもしれない。」
行かないと、後悔する。
私は踵を返して、講師室に向かった。
東先生は、まだ、残っていた。
「先生、体調悪い中、すみません…質問、大丈夫ですか…?」
「ああ、大丈夫だよ。」
私は、いつもの東先生の口調に安堵した。それで、いくつか質問した後、なぜだかこんな言葉が出てきた。
「東先生の授業、とても楽しいです。西先生の授業と合わせて、なんだか、空から、世界を眺めてるみたいです。これからも、楽しみにしてます。」
先生は、「そう言ってくれると、嬉しいよ。ありがとう。」といつものように微笑んだ。
だけど、その微笑みはどこか寂しそうに見えた。
夏期講習が終わり、2学期が始まった。
「東先生は、良くなっただろうか。」と少し気になっていた。
高校でいうところの担任に当たる、教務課の先生が教室に入ってきた。
「一つ残念なお知らせです。…東先生が、ご病気で亡くなりました。残念ですけど、皆さんも、体調に気をつけて引き続き頑張ってくださいね。」
訃報にしては、あまりにもあっさりしすぎていた。
予備校は、高校とは違う。予備校講師は、予備校に完全に雇用されてるわけではない。予備校は、「受かること」に特化した機関だ。だから、心の交流など、必要ない。教務課の先生だって、講師の訃報なんて滅多に経験しないはずだ。その中で、受験生ができるだけ動揺しないように、最善の選択をした。今なら、教務課の気持ちも、わかるつもりだ。
でも、当時の私は、納得がいかなかった。
教務課の対応に納得がいかない気持ちと、ただ現実を受け止めきれない気持ちが、混じり合った。
その週末、自習後に予備校の友達とランチをした。
友達も、世界史の授業を取っていて、先生の授業を楽しんでいた一人だ。
お互い、東先生のことを思い出しているのか、時々、黙りがちになった。
そのうち、友達が言った。
「教務課の言い方、納得できないよね。」
私と、同じことを思っていた。
「もっとなんか…あってもいいのにね。」
お互い、涙を見せる関係性じゃなかった。でも、これ以上何かを喋ろうとすると、溢れてしまいそうだった。それは、向こうも一緒だったのだろう。目を、合わせずに、それぞれが、東先生のことを、思い出していた。
次の週、2学期初めての西先生の授業があった。
西先生は東先生とも仲が良い。西先生も、心を痛めているのではと心配になった。
西先生は、入ってくるなり「じゃああ始めましょう〜〜〜!」と、いつもより大きな声を張り上げているように聞こえた。
いつもの、元気な口調で話しはじめた。
「みんなね、心配しないでください。私はね、ただみんなにこうやって、歴史をお伝えするだけですから…あと、東洋史には、代わりの先生が来ます。でもね、お願いです。代わりの先生が来ても、東先生の方がよかった、とか、言わないでください。思わないでください…それはね、東先生が望んでることじゃないんです。東先生が…」
だんだん、涙声になっているのも気にせずに続けた。
「東先生の、お別れに行きましたよ、先日ね。お写真も見ました。ふっくらしてね、元気なお顔だった。私はその時、わんわん泣いたから、もういいんです、もうお別れできたんです…。」
そう言いながら、やっぱり大声でわんわん泣いていた。
「悲しんでいい。泣いていい。東先生はね、愛される先生だったから。でもね、悲しんだ後は、前を向きましょう…先生は見てるんですから、それが、きっと、東先生にとって、一番嬉しいことです。」
教室のすすり泣く声は、西先生の大声にかき消されてほとんど聞こえなかった。
それから、西先生の授業はいつも通り続いていた。授業中、東先生の話題が出ることはなかった。
私も、東先生のことは忘れ、いや、時々思い出しながら、受験まで勉強の追い込みをかけた。楽しいからって、世界史ばっかり勉強しているわけにはいかないのだ。国語、数学、英語、世界史、地理、現代社会、化学…勉強するべき科目は多様にある。だんだん、現役高校生も実力を伸ばしてくるからうかうかしていられない。
秋から冬への季節の変化も、クリスマス、お正月などの行事も関係なく、勉強した。両親も、験担ぎのお菓子をいっぱい買い込んでくれたり、夜中にホットレモネードを用意したりしてくれた。
センター試験当日。母に持たされたお弁当とおやつ、最後の復習用のまとめノートを教科分持って、重たくなった鞄を冬空に運んだ。
過去問を数えきれないぐらい解き、もうどの年も何がどんな順番で出てくるか覚えてるまで復習してきた。何しろ、もう後がないのだ。
寒さと緊張で心臓を震わせていた。明日の今頃、明後日の今頃、来月の、来年の今頃を思いながら。
世界史の試験の合図があって、シャッと一斉にページを捲る音がする。
わかっている問題も、読み違えがないように細かく問題を読み解く。静寂の中、マークシートの音の一部になりながら、正解の箇所を塗りつぶした。
ワイマール帝国、カール5世、康熙帝、完顔阿骨打、バラモン…数十ページの小さな冊子に、穴あきの歴史が詰まっていた。
ある語句に、手が止まった。
高麗…韓国の歴史だ。
全然勉強してなかったわけではない。だけど、他の分野と比べると、韓国の歴史は、学習が少しだけ薄かった。そこを容赦なく試験は突いてくる。
少し焦りながらも、頭の奥の奥まで、記憶の引き出しを引っ張った。高麗…
頭の奥で、微かな声が聞こえた。私はマークシートの音にかき消されないよう、耳を研ぎ澄ませた。
「…ハックション、ハックションって覚えるんだ。」
東先生の声だった。もう少しでもっと聞き取れそうだったのに、それしか聞こえない。
当時先生の授業でそれを聞いた時のことをあんまり覚えていない。だから、思い出した、というより、本当に「聞こえてきた」
ハック(89)ションってことは、890年代?
選択肢を年代順に並び替える問題だ。声を頼りに、高麗関係を890年代に当てはめてみる。他の選択肢を並び替えて、「3」を塗りつぶした。
試験後、新聞の解答速報で、何よりも先にこの問いの解答を探した。
私が塗りつぶした通り、「3」だった。
私はその後、センター試験の点数で決まる、第一志望の一次試験を通過したが、実力不足で、二次試験は不合格。
だが、それ以外で受けて合格した私立大学に通うことになった。
センター試験の時、先生は来てくれたんだろうか。
それが天国か、どこなのかは、宗教によるから、わからない。
でも、きっとどこかで、授業を続けているに違いない。
私を見かねて、少しだけ…授業のおすそわけをしてくれたのかもしれない。
(了)