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丸山眞男著『日本の思想』第一章を読む(6)
近代化…ここでは(丸山が思想的開国と位置付ける)マルクス主義のことだが、それは結局かりもののヨーロッパ製の“おめしもの”で、その着心地はいかがなものだったろうか?
そして、日本人は「日本人の精神状況に本来内在していた雑居的無秩序性」を制御する主体を見いだすことができるのか?
丸山が「マルクス主義が、日本の知識人の内面にきざみつけた深い刻印」とか「マルクス主義は日本でこのように巨大な思想史的意義をもって」という時の日本は、近代化の途上にある日本を指す。
ヨーロッパの知性を受け入れる試行錯誤が導き出した結末を、ときに丸山は“悲劇”とか“不幸”と評するが、とりも直さず日本の近代化における知的構造の問題を総括するには、マルクス主義をどう受け止めてきたかを反省する必要があるようだ。
マルクス主義は歴史的「事象」の背後にある基本的な導因を追求する思考や、現実と認識主体を隔離して緊張関係におく二元論など、ヨーロッパの近代的知性が体系化した思想だ。
日本人はそれを“巧み”に利用したかもしれないが、決して“上手”に消化したわけではなかった。
精神史的な背景を異にする日本に、波濤を越えやって来た「ヨーロッパ近代」は、つまるところ日本社会に、木に竹をつぐような、いやもっと不細工で不調和な思想的断絶の様相を呈する。
ちょうどマルクス主義が「思想問題」を独占したように、公式主義もまたマルクス主義の専売であるかのように今日でも考えられている。
理論と現実の関係においてトータルな世界観としてのマルクス主義の特有の考え方が、日本の知識人の思考様式と結合して、一層理論の物神化の傾向を亢進させたことも見逃してはならない。
世界のトータルな自己認識の成立がまさにその世界の没落の証しになるというところに、資本制生産の全行程を理論化しようとするマルクスのデモーニッシュなエネルギーの源泉があった。しかしながら、こうした歴史的現実のトータルな把握という考え方が、フィクションとして理論を考える伝統の薄いわが国に定着すると、しばしば理論(ないし法則)と現実の安易な予定調和の信仰を生む素因ともなったのである。
理論は現実を代用するものにはなり得ない。にもかかわらず理論が現実と同じ次元にあって競争するかのような日本の知的風土の問題を丸山は次のように指摘する。
自己の依拠する理論的立場が本来現実をトータルに把握する、また把握し得るものだというところから責任の限定がなくなり、無限の現実に対する無限の責任の建前は、実際には逆に自己の学説に対する理論的無責任となってあらわれ、しかもなお悪い場合にはそれがあいまいなヒューマニズム感情によって中和されて鋭く意識に上らないという始末に困ることになる。
日本の「近代」の認識論的特質、理論の物神化と実感信仰が明確に自覚されなければ、日本の「近代化」の悪循環の根は絶てないと丸山は考える。
はたして「日本人の精神状況に本来内在していた雑居的無秩序性」、その“雑居”を“雑種”に高めるだけの強靭な自己制御力を具した主体を私達がうみだすという彼の切実な希求は日の目を見るのだろうか。
「ぼくはヨーロッパのキリスト教を信じているんじゃありません」
「ぼくはここの国の考え方に疲れました。彼らが手でこね、彼らの心に合うように作った考え方が…東洋人のぼくには重いんです。溶け込めないんです。」
「ぼくはここの人たちのように善と悪とを、あまりにはっきり区別できません。善のなかにも悪がひそみ、悪のなかにも良いことが潜在していると思います。」
そうして大津は、悪と善が不可分で絶対に相容れることがないという教会からツマはじかれる。
彼はガンジス河のガートで、くだらないキッカケから宗教対立の暴力の渦に巻き込まれ、首の骨を折ってしまう。
美津子は血だらけの大津の顔をタオルで拭う。血まみれになった丸い顔は大学時代のあだ名そのままにピエロそっくりになった。
「さようなら」担架の上から大津は、心のなかで自分に向かって呟いた。「これで…いい。ぼくの人生は…これでいい」
運び去られる大津に美津子は叫ぶ「あなたが玉ねぎの真似をしたからって、この憎しみとエゴイズムしかない、世の中が変わるはずがないじゃないの【…】あなたは結局、無力だったじゃないの」と。
そう、彼は無力な人間だった。
戦時下、一握りの権力者の政治的思惑と野心が、冷静で客観的な意見を封じ込め、それが組織全体の意思として決定され国土は焼土と化した。丸山の“民主主義”はそこから始まった。
敗戦の理不尽さと無力さと恐怖は、どれほどの殉教者たちの惨苦によって知らされただろう。
丸山眞男に問いたい、そしていま何が変わったのか。
親知らずを浅い川にほうり投げた。
それは水面にほんの小さなしぶきを立てたようだった。
手ざわりの消滅
そして今は…それ以上の暗闇と静寂をどこかにただただ求めている。
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