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丸山眞男著『日本の思想』第一章を読む(3)

國體について①

 1888年(明治21年)6月、帝国憲法(1890年施行)の枢密院の草案審議の折、議長伊藤博文が憲法制定の根本精神の所信を述べでいる。
 それについて丸山は「近代国家としての本建築を開始するに当って、まずわが国のこれまでの“伝統的”宗教(仏教や神道)がその内面的“機軸”として作用するような意味の伝統を形成していないという現実をハッキリと承認してかかった」のだという。

 我国ニ在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ。是ヲ以テ此憲法法案草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルヘク之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。【…】乃チ此草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏(ひとえ)ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、敢テ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是レ起案ノ大綱トス

(清水伸『帝国憲法制定会議』八九頁)

 この結論を絶対の前提として「国家生活の秩序化と、ヨーロッパ思想の“無秩序”な流入との対照は、ここに至って、国家秩序の中核自体を同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになる」と丸山はいう。

 新しい国家体制には、政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「機軸」をなして来たキリスト教の精神的代用品も兼ねるという巨大な使命が託されたわけである。

『日本の思想』p34

 で、あろうとも『國體』は得体の知れない怪物のようであり、いかにして戦時下の人々の思想信条と生活に働きかけたのか、奇妙な印象が残る。

 國體は「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総攬シ給フ」国柄と帝国憲法第一条に規定されている。
 ただこの散文的な表現に尽くされない「精神的“機軸”としての無制限な内面的同質化の機能」が國體にはたらいている。それは徹底的に内面的でもなければまた外面的でもなく、日本の「全体主義」が翼賛体制への過程や経済統制に見て取れるように、権力的統合の面では『抱擁主義』的なものだったと丸山は強調するのである。

 ”精神的雑居性”を素地として、日本はその無構造な伝統に従い、超近代と前近代を架橋し、世界史的な段階である「全体主義」へ一足飛びに結合する。それが日本独自の近代国家が創出された姿のようだ。

※「國體」における臣民の無限責任という章に、E・レーデラーの『日本=ヨーロッパ』という書物から丸山は二つの興味深い事例を参照している。それについては画像のキャプションに記録する。

 1945年を境に、国家観・社会観・道徳観に(いや、もっと深く宗教観に至るまで)戦前戦後の”認知”には溝が生まれた。

・天皇は全宇宙であり、すべての存在の理由であり、森羅万象の真理の具現者である。
・遍(あまねく)く大地はすべて天皇の土地であり、数多(あまた)の民は天皇の民である。
・民の命は天皇の御前に捧げられその本懐を遂げる。

 認知の亀裂の深奥にはこのような『國體思想』が、絶対のストーリーとして横たわる。
 どうして「國體」は人々の内面へ浸透したのか。続けて丸山の著作から学びたい。
 しかし、だが、丸山の思想を追うと、たびたび人間というものがわからなくなる。ものごとが複雑に見え迷走する。
 敗戦の瓦礫と屍の上に、丸山は『思想家/知識人』として屹立し、ひとり深い怒りや悲しみを心奥に沈めて、空を見上げるのではないだろうか。(國體について②へ)


 遠藤周作に『深い河』という小説がある。
 インドを巡るツアーに参加する日本人たちの物語で、旅の目的はそれぞれだ。
 磯辺という老人は、亡くなった妻の”生まれ変わり”を探している。美津子は学生時代に弄んだ男、そして彼が信じる“神”を愚弄し軽蔑した大津という男の消息を追う。絵本作家の沼田は人生の重荷を受け止めてくれた動物たちに思いを馳せながら、木口は共に人肉を口にして戦地を生きながらえた戦友の慰霊のためガンジス河を目指している。

 読者はきっと自分にどこか似ている”人”をこの小説に発見できると思う。

【丸山眞男が『日本の思想』でE・レーデラー著『日本=ヨーロッパ』に言及した文章から】

 一つは大正12年末に起った難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)である。彼がショックを受けたのは、この熱狂主義者の行為そのものよりも、むしろ「その後に来るもの」であった。内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当たった警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を防止し得る位置にいなかったことを著者は強調している)の系列が懲戒免官となっただけではない。犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村あげて正月の「祝」を廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞の徒をかつて教育した責を負って職を辞したのである。このような茫として、果しない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。もう一つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)、「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。「進歩的なサークルからはこのように危険な御真影は学校から遠ざけた方がよいという提議が起った。校長を焼死させるよりはむしろ写真を焼いた方がよいというようなことは全く問題にならなかった」とレーデラーは誌している。
『日本の思想』p36〜37
遠藤周作に興味を持ったのは、
映画『沈黙』がきっかけだった。

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