丸山眞男著『日本の思想』第一章を読む(3)
國體について①
1888年(明治21年)6月、帝国憲法(1890年施行)の枢密院の草案審議の折、議長伊藤博文が憲法制定の根本精神の所信を述べでいる。
それについて丸山は「近代国家としての本建築を開始するに当って、まずわが国のこれまでの“伝統的”宗教(仏教や神道)がその内面的“機軸”として作用するような意味の伝統を形成していないという現実をハッキリと承認してかかった」のだという。
この結論を絶対の前提として「国家生活の秩序化と、ヨーロッパ思想の“無秩序”な流入との対照は、ここに至って、国家秩序の中核自体を同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになる」と丸山はいう。
で、あろうとも『國體』は得体の知れない怪物のようであり、いかにして戦時下の人々の思想信条と生活に働きかけたのか、奇妙な印象が残る。
國體は「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総攬シ給フ」国柄と帝国憲法第一条に規定されている。
ただこの散文的な表現に尽くされない「精神的“機軸”としての無制限な内面的同質化の機能」が國體にはたらいている。それは徹底的に内面的でもなければまた外面的でもなく、日本の「全体主義」が翼賛体制への過程や経済統制に見て取れるように、権力的統合の面では『抱擁主義』的なものだったと丸山は強調するのである。
”精神的雑居性”を素地として、日本はその無構造な伝統に従い、超近代と前近代を架橋し、世界史的な段階である「全体主義」へ一足飛びに結合する。それが日本独自の近代国家が創出された姿のようだ。
※「國體」における臣民の無限責任という章に、E・レーデラーの『日本=ヨーロッパ』という書物から丸山は二つの興味深い事例を参照している。それについては画像のキャプションに記録する。
1945年を境に、国家観・社会観・道徳観に(いや、もっと深く宗教観に至るまで)戦前戦後の”認知”には溝が生まれた。
・天皇は全宇宙であり、すべての存在の理由であり、森羅万象の真理の具現者である。
・遍(あまねく)く大地はすべて天皇の土地であり、数多(あまた)の民は天皇の民である。
・民の命は天皇の御前に捧げられその本懐を遂げる。
認知の亀裂の深奥にはこのような『國體思想』が、絶対のストーリーとして横たわる。
どうして「國體」は人々の内面へ浸透したのか。続けて丸山の著作から学びたい。
しかし、だが、丸山の思想を追うと、たびたび人間というものがわからなくなる。ものごとが複雑に見え迷走する。
敗戦の瓦礫と屍の上に、丸山は『思想家/知識人』として屹立し、ひとり深い怒りや悲しみを心奥に沈めて、空を見上げるのではないだろうか。(國體について②へ)
遠藤周作に『深い河』という小説がある。
インドを巡るツアーに参加する日本人たちの物語で、旅の目的はそれぞれだ。
磯辺という老人は、亡くなった妻の”生まれ変わり”を探している。美津子は学生時代に弄んだ男、そして彼が信じる“神”を愚弄し軽蔑した大津という男の消息を追う。絵本作家の沼田は人生の重荷を受け止めてくれた動物たちに思いを馳せながら、木口は共に人肉を口にして戦地を生きながらえた戦友の慰霊のためガンジス河を目指している。
読者はきっと自分にどこか似ている”人”をこの小説に発見できると思う。