ありのままの私を感じる時。
登山をしている時、私は様々な事に夢中になります。
季節ごとの花や木々の様子、天候によって変わる景色。
空気の冷たさや湿度。
昆虫や虫。鹿や鳥の気配に目を凝らして、その姿を見つけること。
道中にすれ違う人とのあいさつや会話。
そして、自分自身の体の状態や考え事。
何よりも、自分の疲労具合を感じ取って、より快適に疲労感を残さず、痛みを出さずに進むには、どう体を使えばいいか。
息切れ感、心臓の鼓動。手足の重たさ、指先のむくみ具合、足指の感覚。
体の向き、重心の位置。
そんなことを考えながら山の中でひたすら歩みを進めるのが好きです。
登山中は思考も軽やかになり、五感も研ぎ澄まされるため、頭の中がクリアになる感覚もあります。
その為か、アイデアが浮かんだり、楽しい発想や、面白そうな事、ポジティブな考えが浮かびやすいように思います。
自然の中で、自分自身や自分の周囲の自然環境に夢中になっているうちに、自分の感覚が研ぎ澄まされていきます。
自分の周囲にある木々や生き物、風や水の流れを感じて、自然と一体となる感覚になった時、自分の中に生きるエネルギーのようなものが染み渡るような感覚を得ることもあります。
自分の心身をフルに使って、五感を研ぎ澄まし、デジタルなもの、人工的な物から距離を取り、山の中で生きる為に必要な最低限のものを背中に背負って、自然に身をゆだねると、ありのままの自分を感じることができます。
良いも悪いもない、自然の中に住む生き物としての私。
時々立ち止まって目を閉じ、深呼吸をすると、木々のこすれ合う音や、鳥の鳴き声、近くには見当たらない水の流れの音が鮮明に聞こえ始めます。
森の匂いを感じ、空気の冷たさを感じます。
しばらくして目を開けると、緑がこんなに色濃く鮮明なのかと思うほどで、空の青さにも心が震え、色鮮やかに自然の色を感じます。
そしてのどの渇きを感じて飲む水は、ただただおいしい。体の奥底まで水が染み渡るような感覚。
私はいつも登山の途中何度か、目を閉じて瞑想をします。
そうすると、混沌とした日常の中で鈍っていた全身の感覚を取り戻すような感覚を得ます。
それは、自己肯定感、自己一致感等も超えた、私は世界や宇宙の一部なんだという感覚のように思います。
その一体感は、私になんの根拠もない、本来内側に誰もが持っている生きる力を、思い出させてくれるような気がするのです。
宇宙とか一体感というと、少し怪しいような気もしますが、科学的に見ても、私たちが宇宙の一部であることは間違いありません。
宇宙の中のわたしとみれば、本来良いも悪いもなく、ただ、そこに生きている存在。
それが、ありのままの私。
日常の中では容易に感じることの難しい感覚だと思います。
仏教の、「すべては空である」に近いような感覚なのかもしれません。