当たりくじだけのくじ引きがしたい
わたしが人生で何億回言われたか分からない言葉
それと同率で「何を考えているのか分からない」。
その時に、わかりにくい人は扱いにくいのだろうなと思いなるべくわかりやすそうな人でいることを心がけるようになった。
でもそれも本質的に変えることは難しくて、めんどくさいし一人のほうが楽だな〜に結びついた気がしている。
わたしには〇〇な人という枠がなくて液状のような、そんな感じ。「可愛いとか面白いとかじゃなくてえいかっていうニュージャンルだよね」と言われたこともあった。
えーかワールドっていう言葉も小中高とずっと言われていた。先生にも呆れられていた。「もうお前はそのまま大人になれ」と。
そんなわたしだけれど、忘れられない思い出がある。
今でもその光景がはっきり思い出せる高一の時。
休み時間に教室で一人で寝ていたか、ぼーっとメロンパンを食べていたか…そんな時。
友達が急にドアをバーンと開けて入ってくるや否や「えーか!すごくえーかっぽい曲を見つけた!」とケータイで曲を流してきた。
流れてきたのはチャットモンチーの恋の煙だった。
どうやら昨晩のラジオで流れていたようで、それを見た他の友達が「えっ、私もこれ聴いてえーかのこと思い出してた!」と
結局その場にいた何人もの友達が口々にえーかっぽいねと言い始めて、それが初めてわたしにできたフレーム?というか自分の枠というか。
透明だった自分自身が初めて見えるようになった気がした大きい出来事だった。
わたしも自分のことなんて分からなかった。大体の人が分からないような気もするのだけど、いやわかるのかな?それもわかんないけど。
それがチャットを好きになったきっかけであり、やっぱり音楽が自分にとってなくてはならないものだと思った出来事でもあった。
恋の煙のどの辺がわたしっぽいかはいまだによく分からないけれど、それでもちゃんとわたしらしさはそこにあったことに気付いて安心した瞬間だった
今でもこの曲はわたしにとって大切で、たまに聴いたり歌ったりする。
この間久しぶりに歌ったら高音が出なくなっていたけれど、練習したらまた出るようになるかな〜
最初に戻すと、小さな幸せを見つけることは割と得意だと思う。
でも本質から逃げているのもわかってる。
特に親が歳を重ねてゆくのを見ていると「わたしが幸せであればいい」とは言われても、わたし自身はそれに甘えてはいけないと思うし、かといってじゃあどうするのと言われてもちょっと、あれだけどさ…
母の病気もあり、そんなに悠長に構えていてはいけないなとは少し思うけど、でも〜。
誰かが幸せであることがわたしにとっての幸せにもなりつつある。でももう、向き合うこと自体も怖いんだよね、自分に。うーん難しい話だ〜
もういちいち自分に目を向けなくていいのかもね
いつもながら駄文ですが今回も結論は出ないのでこの辺で。
ではでは〜
チャットモンチーは名曲がいっぱいある。
特に好きなのはCAT WALKと湯気
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