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小説 #10 FHの古層の記憶
ソルが作家フェイ・フュー(FH)の記憶をたどるために、彼女の記憶世界へ没入する。
ダイヴは深く、フェイじしんも意識に上らせたことがないようなイメージが噴出する。
描写はフェイの視点から感受される。
・・・わたしの高校には、実験系教室とか、家庭科室、音楽室、それに図書室とかを集めた特別棟がある。そこはがらんとして人気が少なく、何十年来の化学物質のにおいが抜きがたく染みついている。
どこかでメタリカがかかっている。
1階にある生物部の入り口脇には、過去の先輩たちが勝ち取った何かの大会のトロフィーや賞状が飾られている。
引き戸を開けると、瓶に入ったホルマリン漬けの生き物たちが並んでいる。
もう何十年もそこにあるのだ。
わたしが化学物質の匂いだと思っていた匂いの正体は、この古色蒼然たるボトル群からこぼれてきているのかもしれない。ふたがコトリと開いて、そこから別の時空が噴き出してくるのだ。
ばかばかしい・・・。そんなことを言うなら、この特別棟全体はもう疾うの昔から別の時空に隔離されている。教室棟とここを結ぶ空中の渡り廊下を渡る時点で、わたしたちは境界を跨ぐのだ。
わたしはそんな異界としての教室棟を愛す・・・。
一番上階は図書室。図書室はいつも、急に雨が降り出しそうになる直前のような雰囲気。信じられないくらいに暗く、部屋の明かりが頼もしく感じられる。窓の外には湿り気を感じる濃い緑。あの高さまで木が茂っているのか。
わたしは回転書架を回す。年季の入った回転書架。回すとかすかに軋む。
やはり、今日も俄雨が降り出した。カウンターの司書教員もわずかに顔を上げて外を見る。
景色が白く煙っている。土の匂いが立ち上る。
わたしはなぜだか、何かにひどく急かされている気分になる。背中のほうからざわっとくる、その感覚は・・・。
それは何かを声高に叫んでいるようだ。何かを要求しているようだ。わたしに!
雨音が一段と激しくなる。
図書室には明かりが点いている。外は夕方のように暗い。
それはわたしを揺り動かし、自分の方へ注目を要求する。
"Look at me! Look at me closely!"
わたしは窓枠に手を突き、外を見る。
わたしはその喧しい求めに陶然となっていることにやがて気づく。
その求めを一つも漏らさぬよう、唇を半ば開き、聞き耳を立てるようにして全身で感知している。