〈weak yuri〉は私だ。
文芸エージェントのアルジズです。日々、作家さんたちが書いたいろいろな小説を摂取/ 接種しています。
早川書房のnoteにおもしろい対談がありました。
小説家・草野原々が宮澤伊織との対談で、〈weak yuri/ 弱い百合〉という概念について説明しています。
〈weak yuri/ 弱い百合〉という考え方はおもしろい。これを知ってからやっと、草野原々の小説が深くわかるようになった。
・・・まず、キャラクターの感情が物質化していると想像してみてください。で、キャラがその感情のオブジェクトを手に持っているとしよう。檸檬でもピストルでもいい。
「なんだろう、これは?あぁ、悲しみ・・・とかっていうんだったっけ?」〈弱い百合/ weak yuri〉キャラクターは、そんなふうに独り言ちるわけです。
草野原々によると、これが〈弱い百合/ weak yuri〉キャラクターの常識的な心の働かせ方だそうです。普通に健全に機能している、常識的な〈弱い百合/ weak yuri〉キャラクターはこんな人たち。
なんかこう、手に持っている感情を初めて見るような眼でもって眺める。
どことなくサリンジャー的というか、佐藤友哉的。感情の持つ重みがぺらぺらとトランプのカードのように表層的になっている。
だから『不思議の国のアリス』の世界は実に〈弱い百合/ weak yuri〉的世界だ。アリスはしじゅう、「・・・ってことは、あたし、~なんだ!?」と自分をいちいち発見しながら、物語はのたりのたりと進む。
ほかにもこの対談では〈関数百合〉、〈観測できない百合〉、「草野:思ったんですが、微分って百合だなと」という発言とか、前編の方の対談では〈不在の百合〉など魅力的な概念が出てくる。
原々って、変わってますよね?そう思いませんか?