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「パワーナップ」とか。
企業の休憩スペースに、立ったまま眠れるブースを導入するという話を新聞で読んだんですよ。そこに載っていた写真では、あの何かスゥエーデンの子ども用いすで、背もたれのない椅子がありますよね、あんな感じで前方にもたれかかるようにして人が眠っていました。いや多分、眠っているふりをしていました。
そこを囲む円筒形のスペースは外から見えて、しかしおそらく、そこそこの遮音性はあって、じゃあ、空調が効いているのか? 昨今の清潔志向からすると、よりかかるところはそうとう殺菌しないとな~、だって、よだれとか付くかもだし。
その縦長い円筒の中で、人が目を瞑って眠りでゆらっとなっている。
それは、まるでホルマリン漬けの剣先瓶のように見えました。理科室のガラス戸の向こうにある、あのホルマリンの瓶です。
人が標本になっている。僕は思わずそんな幻視に誘われてしまいました。
まずは今日の段取りを考えよう。
税金納める。
今日読む本。三浦俊彦の『可能世界の哲学』。あと、できれば蓮實重彦の『夏目漱石論』。
言葉が、意味とか関係なく、そこにゴロっとある。石のように、今僕の目の前にあるTULLY'Sのマグカップのようにゴロっとある。そういう武骨な手触りに興味があります。意味からはできれば逃げていたい。ほんとに。できるものなら逃げ続けたい。
千葉雅也が『センスの哲学』の中で、『夏目漱石論』を勧めている。蓮實の著作としては、まずこれから読めとまで言っています。小説を即物的に、つまり、モノみたいに扱う感覚を教えています。蓮實は文体が独特なので、読んでいると感染してきます。それもまたちょっと享楽的でいいです。
で、僕はこのゴロっとした、即物的な、TULLY'Sのマグカップを持ち上げるときに感じる感覚。それを以て、何をどうしようとしているのか? 今のところは、わかりません。ただただ、ゴロっとした感じが楽しい。それだけ。
天気がいい。早いうちに洗濯を済ませてしまおう。誰も僕の代わりに洗濯をしてはくれません。
テッセンの花を三輪切って、ガラスのコップに挿した。濃いむらさきが美しい。芯はうすい黄色だ。優雅すぎるだろう。