小説 #21 壺井のヴィジョン、〈ベルカナの王国〉。
壺井ジョウは、他人の記憶の〈抜き取り〉を行うアーカイヴ屋である。年齢は知られていないが、ハタチそこそこに見える。飛び級でカルテックに入学したと言われている。
彼はもちろんテックサヴィなわけであるが、考え事をするときには、ノートにペンを走らせる。
彼ははいつものように黒い大判のモレスキンを開き、考えを綴っていく。
陣地を取り返す・・・という考えに俺は憑りつかれている。
俺たちは歴史に繰り返し鞣された土地、歴史に領土化された土地を取り返し、もう一度、〈僕らの陣地〉にしなくては!
占領!美しい響きだ。
さて、俺の国だ。どんな国にしようか・・・?
もちろん、俺たち〈ベルカナ〉のための王国だ・・・。
そうだ、再領土化の暁には、宴にアルジズを呼ぼう。
アルジズは俺と同じ〈ベルカナ〉だ。文芸エージェントをしているが、彼女にはどこか、何かを抱えているような、自分の本当の望みに合っていないことをしているような印象がある。
本当は彼女自身が何かを創作して世に出すべきだ。
アルジズは〈ベルカナ〉と〈ベルカナ〉を掛け合わせると奇跡が起きるようなことを言っていたな。
俺を巻き込むこと。それが彼女のやりたいプロジェクトかもしれない。
奇跡。奇跡とは?どんな善きことが起きるというのだろう?
俺たち〈ベルカナ〉の王国にどんな福音がもたらされるのだろう?
善きことを起こさねばならないという偏執は、ディケンズを思い起こさせる。『荒涼館』に出てくる、慈善事業にうつつを抜かす女。エキセントリックで、醜くも美しい。アルジズもおそらくは同じような志を持つ。
俺は彼女たち篤志家とは違って、儲けたい男だ。
人の情報空間を抜き取って、それを記録媒体へ落とす。
ブレードランナー的な故買屋ぽくしたいところだけども、あいにく俺は〈シティスピーク〉に通じているわけじゃない。
それでも、俺の〈抜き取り〉を求めて足しげく通う顧客たちがいて、安くはない金を払ってくれる。
俺も、これでも篤志家のはしくれなのかもしれない。
俺は、美しいものを幻視することもある。そのうち幾分かは、あの裕福で美しい顧客たちがもたらしてくれたヴィジョンかもしれない。
ヴィジョンを得たら、俺はそれを忘れないうちに作品にする。人はそれをアートと呼んでくれる。
すべては俺の持つ〈ベルカナ性〉がもたらす。
だから、俺の夢想する〈ベルカナの国〉においては、あらゆる幻視が赦されなくては・・・。
これはダメだとか、あれは無理とか、こっちは下品とか、あんなのは模倣とか。
そういうあらゆる雑多な 〈non〉 から自由になれる場所。
エキセントリックな思考と幻視が許される国。
それが俺の考える陣地だ。
俺が〈ベルカナ〉たる質を活かそうと思うなら、そういう陣地を固めていかなければ・・・。
このままずるずると生きていては、できないことだらけになってしまう。
砂の女になるのは、なんとしても避けなければ。