言葉にする事
言葉にするって難しい。
「すごく綺麗だった」の“すごく”を言葉だけで相手に伝えたい。
私は昨年グアムへ旅行へ行った。海がとても綺麗だった。
「水が水道水みたいに綺麗だった」
確かに水道水のように透明であったが、何かが違う。
透明な水に太陽の光が反射し、キラキラしている。
近くで見ると透明だが、少し引いて全体を見ると薄い水色に見える。
全てが合わさって「すごく綺麗」なのである。
言葉だけで私の感動を伝える。なんて難しいことだ。
noteを始めるきっかけ
まずは私がnoteを始めようと思ったきっかけをお話ししようと思う。
きっかけはこの話題。
感銘を受けた。
私が今まで使っていた「信じる」は自己満足であった。
つまり愛菜さんの言葉を借りると「自分が知っている相手の部分だけで判断する」と言ったところであろうか。
ニュース番組でも大きく取り上げられていた。
かなり哲学的。本をたくさん読んでいるのでしょう(日本テレビ「スッキリ」)
「本を読めばこんな論理的な話し方ができるのか。こんなすごいことを考えるのか
・・・あれ?私も小さい時から読書は好きで本はたくさん読んできたのにな。
何が違うのか???」
お恥ずかしながら私は語彙力もなく、論理的にわかりやすく話すことが苦手だ。
本は読んできたのに何が違うのか?
それは、アウトプットの不足である。
本は読んだが、「へー」で終わってしまっていることに気がついた。
どう思ったのか?
賛成できるのか?それとも反対なのか?
アウトプットすることによって自分の気持ちの整理をつけ、自分の言葉に
言い換え、発信する。自分の感情を示す言葉はどれが適切なのか。
言葉の意味には似ていても微妙な違いがある。自分の感情と言葉の意味がパズルのピースのようにピタッとハマった時、本当の意味で「語彙力」が得られるのでは
ないだろうか。
だから私はnoteを始めることにした。
インプットした情報、ニュースでも、映画でも、ドラマでも、本でも、歌でも何か感じたことをアウトプットしようと考えた。
誰かに伝えるためではない。自分自身の感情の整理のために。
なんてスカしたことを言っているが、私のアウトプットが誰かの心にとまる事ほど嬉しいことはない。読んでくれたらめちゃくちゃに嬉しい。
でも私は取り繕う傾向があるので、他人に見られているからかっこいいことを
書く、ではなくあくまで自分を表現するためのツールとして発信しようと思う。
自分を表現するために。
ツイッターでもなく、インスタグラムでもフェイスブックでもなくこのnoteで。