「I LOVE YOU」の訳し方なんて「大好きだよ」でいい
「I LOVE YOU」を「夏目漱石が月が綺麗ですね」と訳したエピソードはあまりにも有名だし、僕も好きだ。
というか好きすぎて、以前「I LOVE YOUの訳し方」という100人の文豪の「I LOVE YOUの訳し方の紹介」の本まで読んだ。
さらに勢いあふれて、定期的にツイッターやストーリーで「I LOVE YOU」の意訳を挙げている投稿を見てきた。
メンヘラなのかもしれない・・・笑
でも、「I LOVE YOUの訳し方」を久々に読んでふと思ってしまった。
こんな意訳に影響されてたまるかって。(急な手のひら返し。笑)
例えば、私が見てきた意訳例を見てほしい。
「死んでもいいわ」(二葉亭四迷)
「あなたと芸術が両立しないならば、私は喜んで芸術を捨てます」(石川啄木)
「なんでも許せる」(詠み人知らず)
うーん、どうだろうか。
もちろん、そう思える人に出会えたことは素晴らしい。
それでもだ。現実問題、すべての人がいつ何時でもそう思えるかは別じゃないんだろうか。
どれだけ相手が大切であっても、人生には、芸術やら仕事やらを大切にしないといけない時期だってある。
好きだから許せることもあれば、好きだからこそ許せないこともある。
そして、その線引きは人それぞれだ。
だから、自分がどう思おうが勝手だけれど、
「あの人仕事ばっかりで全然会ってくれないし、私のこと好きじゃないのかな」
「もう謝ったじゃん。なんでいつまでも、あの時のことを言ってくるの?」
そんふうに、自分の基準で相手の「I LOVE YOU」を測るのはやめたほうがいい。
100人の文豪が教えてくれたのは「愛し方は人それぞれ」というたった1つの真実だ。
好きだったら〇〇するはず、好きだったら△△って思うはず。
そんなふうに「I LOVE YOU」を自分の都合で解釈するな。
「I LOVE YOU」の証なんて、
「大好きだよ」ってたまに言ってくれるだけでいい。
十分素敵なことじゃないか。