大河「光る君へ」〜越前編の始まり〜
おはようございます。
ミュルアです。
明後日から金沢に行くので、準備でバタバタしています。
なるべく大河もリアルタイムで観たいと思ってますが、さきほど観ました。
平安の京を出て、琵琶湖を渡り、越前に舞台が変わりましたね。
仲良く宋人と宴会しているのも束の間、通事が殺されてしまいサスペンス物みたいになってきました。
それはさておき、私も、20年ぐらい前に福井県に主人の転勤があり、滞在したことがあります。
越前の紫式部公園を訪れたり、辛味大根のおろしそばを食べたりして楽しみました。
色々特産物があるのですが、中でも、目を奪われたのが、越前和紙です。
大河でも、まひろの机に美しい越前和紙が置いてありましたね。
美しい字や和歌が書けたら良いですが、書けないので、様々な色に染められた和紙をインテリア用に買ったのを懐かしく思い出しました。
ところで、「越前の事は越前で片付けてくれ」と左大臣道長が書き送ってくるぐらい宮中は、大変そうでしたね。
母の高階貴子が亡くなり、中宮定子は、本当に後ろ盾がなくなり、
身重の身体で道長に産まれてくる子供を託します。
この時、母の服喪中だったので鈍色(にびいろ)の衣を纏っていましたが、本当に美しかったです。
シンプルなグレーは、美しい人をより引き立てるのですね。
大河でも鈍色の衣は、なかなか目にしませんが、実際見ると落ち着いた品の良い美しい色です。
【源氏物語】にも、何度も鈍色が登場しますが、近い関係ほど、鈍色を濃くするそうです。
紫の上が亡くなった時は、葵の上の時より濃い鈍色だったと書かれています。
色や重ねについて語り出したらキリが無いので、これぐらいにします。
大河の最後に紹介されていた気比神宮と気比の松原に近いうちに行ってみたいと思っています。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
tomomitatomoさん、爽やかな日本海の写真をありがとうございました。
前回の【清少納言の想い】でコングラボードを頂戴致しました。
沢山読んでくださり、ありがとうございました。
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