見出し画像

noteの使い方/まねきへの釈明

私は〝頑固〟で〝短気〟です。
第一印象でイヤなことを言われると、
すぐに自分の主張をぶつけてしまいます😅
上司や後輩と、うまくいかなくなってしまうのは、
こういった性格もあるに違いない。と、自己分析しています。

noteに限らずですが、〝コメント〟欄。
これもまた例外ではなく、目に入った瞬間、
カーッとなってしまったり、それは違う!と、
自分の主張を通したくなる事もあるのです。

現実と、大きく異なるのは、
即座に反応するのではなく、
なぜ読者からそのようなコメントを頂いたのか、
発言におかしな点がなかったか、
私の一方的な考えではなかったか、
読者の方に本当に伝えたかった事が届いているだろうか、
あるいは頂いたコメントの真意を、私が受け取り間違っていないか、
などを考える時間を取る事が出来ます。

この一連の作業。
私自身、日常生活でうまくやっていくため、人を指導する立場としても大事なトレーニングになっているのではないか?と、最近思っていて、
私の発想になかった要求や、私ならばやらない・あり得ないと思っていたミスが生じた際に、頭ごなしに反論したり叱る事なく、〝まず話を聞こう〟と、冷静でいられるようになってきたと思っています。

このトレーニングで私にとって、とても良い効果があったことの一つ。
〝人の意見を聞く〟事が出来るようになりました。
人の意見を受け入れるのでも、
人の意見を飲み込むのでも、
人の意見に合わせるのでもなく、
〝人の意見を聞く〟。

自分の考えだけが正しいわけではないし、
人の考えだって正しいわけではない。

考えが似通った人同士で仲良しごっこをしているだけでは、多様性を受け入れるなんて100年早いのだと思います。

コメントで炎上する、
誹謗中傷しかない、
そんなコメント欄はなんの学びにもなりません。
人の人生を負の方向へ変えてしまいかねません。

だけど、想いを伝え合うことに熱くなる事は、
熱くなれるコメント欄は、人生を豊かに出来るものではないか?と思うのです。


師匠より、前記事コメント内で、私が師匠の記事に対して発言した〝紹介ではなく公開処刑〟の意味を釈明せよ。と仰せつかりました。

私はコメント欄で遊んでいるつもりはありません。
きっかけは何だって良いのです。
誰かと話をし、その方の普段の思考を見せてもらう。
その中で、同じ考えに喜んだり、無かった発想に驚いたり、時には叱咤されるなかで、仮に違う意見から始まった交流でも、分かり合えた瞬間の感激は一入ひとしおです。

そこで気付いた発想は、私にとっては記事にする素材ともなります。

これまで書いてきた記事、多くは私の実体験に基づく記事ですが、全て全て、いつか書こうと思っていた事ではないのです。

誰かの記事を読み、その方の経験に触れ、コメントでコミニュケーションをとり、ふと蘇る自分の記憶を記事にしています。

コメントでの活気が、私の書く原動力なのかも知れません。

原稿用紙10枚分に渡る釈明文はどなたも読みたくないかと思いますので、この辺でお許しください😌

ありがとうございます😊 小さくても沢山の幸せを届けられるように頑張ります!