バイバイ、ロジャー
荷造りをする私の脳内に鳴り響いていたのは、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」という懐メロだった。
47 歳の誕生日に東京を捨て、恋人の待つ宮崎県のマンションへと転居し、48 歳の誕生日に「できるだけ早く出ていけ」という言葉を贈られた。
ロジャーは 2022 年 9 月 17 日、規格外の台風が九州を襲った前日に、2 人で港で保護した猫だ。 体重 480gの可哀そうな仔猫はやがて、猛烈に凶暴なサバトラへと変貌し、私とよく殴る噛むの喧嘩をした。
ソファで憩うていると、急に襲われて激しく噛まれる。振り払っても何度も飛び掛かってくる。恐怖に駆られた私は身を守るために、流血したこぶしで防戦した。獣医に相談し、ネットで調べたあらゆる手段を講じたが何も変わらなかった。ただ、落ち着いているときのロジャーはごく普通の猫で、遊ぶ姿や寝顔はあどけない。私は愛情も憎しみも捨て切れなかった。
徹夜で荷をまとめながら宮崎での最後の朝を迎えたとき、猫がふらりと部屋に入ってきた。おとなしく私の近くに丸くなり、ひたすら梱包を続ける私を見ている。もう襲ってはこなかった。
猫は、疲れて横になった私に寄り添うと、鼻を近づけ初めてキスをしてきた。賢いから別れが分かっている。私は「もう 1 回」と言って、スマホのカメラのシャッターを押した。
飛行機の中でスマホを開き、宮崎での日々を収めた写真を 1 枚ずつ眺めながら、最後に撮った猫と私のキスに目を止めた。
バイバイ、ロジャー。バイバイ、宮崎。
遠くで焼けただれた太陽がチリチリと雲平線を焦がして果てた。