04ー01ーSF/LD:Alvin Toffler "Future Shock"-未来の衝撃ー
去年から今年にかけて世界を回った時に一緒に持って行った本がこの本になります。今, 日本は自民党の総裁選や立憲民主党の新しい代表などの選出がされる時です。政治家の人たちはどのような日本の未来を描くのでしょうか?この半年も営業妨害や生活妨害の中で、なかなか筆が進まず、旅行記を終わらせる事ができませんでした。私が”未来の衝撃”を読んで、引用したくなったような箇所を抜粋したいと思います。
From last June until this February, when I traveled around the world, I brought this book with me. Recently, in Japan, there are campaigns to choose new leaders for the Liberal Democratic Party and the Constitutional Democratic Party. What kind of future do these politicians envision for Japan? Over the past six months, due to various disruptions in my work and personal life, I haven't been able to make much progress on my travel journal. I plan to read "Future Shock" first and extract some quotes that I find inspiring.
P393
われわれは“未来の衝撃”を次のように定義する。すなわち、それは人間組織の身体上の適応システムや、その意志決定プロセスにあまり負担がかかりすぎる結果生ずる、肉体的・精神的苦痛のことをいうのである。もっと簡単にいえば、“未来の衝撃”とは過度の刺激に対する人間の反応のことである。
(P394)“未来の衝撃”に対して人々は、さまざまな方法で反応する。その症状はその病気がどのくらい進んでいるか、また、どのくらいひどいかによって異なる。またその症状は心労、社会保障局や警察、消防などの当局に対する反感、意味のないようにみえる暴力から身体の病気、たとえば、躁鬱病、無感覚状態に至るまでいろいろとある。“未来の衝撃”の犠牲者は興味の対象や生活様式に移り気な落ち着きのなさを示し、ついで、社会的にも、知的にも、また感情的にも引っ込み思案となり、“自分の殻のなかに閉じ込もろう“とするようになる。彼らはいつも“細菌に侵され”ていたり、いじわるされているように感じ、また、彼らがみずから行われなければならない多くの決定を減らそうと、死にもの狂いになっているのである。
この症候群を理解するために、われわれは心理学、神経病学、コミュニケーション理論、内分泌学といった専門の違った学問分野を研究して、どんな科学が人間の適応について教えてくれるかをまとめ上げなければならないのである。適応そのものを扱う科学は、いまのところまだない。適応に関するいろいろな病気を整理して説明したものもない。だが、適応理論といえるものの概略を描写することは、さまざまな専門分野で解明された事実をもとにいまや可能になっているのだ。なぜなら、こうした科学の研究者たちは、お互いに他の専門分野の成果を知らずに研究に専念しているのだが、彼らの仕事はなかなか筋道の通った立派なものだ。一つのはっきりすばらしいパターンをつくりながら、彼らの仕事は“未来の衝撃”という概念を説明するには常に役立ったものを提供しているのである。
P325
We may define future shock as the distress, both physical and psychological, that arises from an overload of the human organism’s physical adaptive systems and its decision-making processes. Put more simply, future shock is the human response to overstimulation.
Different people react to future shock in different ways. Its symptoms also vary according to the stage and intensity of the disease. These symptoms range all the way from anxiety, hostility to helpful authority, and seemingly senseless violence, to physical illness, depression and apathy.
Its victims often manifest erratic swings in interest and life style, followed by an effort to “crawl into their shells” through social, intellectual and emotional withdrawal. They feel continually “bugged” or harassed, and want desperately to reduce the number of decisions they must make.
To understand this syndrome, we must pull together from such scattered fields as psychology, neurology, communications theory and endocrinology, what science can tell us about human adaptation. There is, as yet, no science of adaptation per se. Nor is there any systematic listing of the diseases of adaptation. Yet evidence now sluicing in from a variety of disciplines makes it possible to sketch the rough outlines of a theory of adaptation. For while researchers in these disciplines often work in ignorance of each other’s efforts, their work is elegantly compatible. Forming a distinct and exciting pattern, it provides solid underpinning for the concept of future shock.
P391
価値観や生活様式の点で急速に細分化している社会は、かつての一体化のためのメカニズムすべてに対して疑いをもち、もう一度構成しなおすためにはまったく新しい基礎をもつべきだとしている。われわれはまだけっしてこの基礎を見いだしてはいない。もし社会の一体化という困った問題に直面した場合、われわれはそれよりもっと難しい個人の一体化という問題にぶつかることになる。というのは、生活様式がふえれば、自我そのものにまとまりをつけるわれわれの能力が危険にさらされることになる。
自我の在り方には数多くの可能性があるが、そのうちのどれを選んだらよいのであろうか。連続した自我がいくつかあるならば、どれか自分を表わすのであろうか。要するに、すべてのレベルのなかでも、いちばん個人的で感情に満ちたレベルでの過剰選択を、どのように処理しなければならないであろうか。多様性と選択性と自由とを求めてまっしぐらに進むあまり、われわれは多様性のもつこうした恐るべき意味合いについてまだ調べ始めることすらしていない。
しかし、多様性が一時性と新奇さといっしょになるとき、社会はそれに適応せねばならず、それができなくなれば、社会は歴史的危機に向かって突進しているといえる。そのような場合、社会を取り巻く環境はあまりにもばかなく、未知で、また複雑なため、何百万人という人が適応しそうなことという危険にさらされることとなる。そして、この適応できない状態こそ“未来の衝撃”の姿なのである。
P321
A society fast fragmenting at the level of values and life styles challenges all the old integrative mechanisms and cries out for a totally new basis for reconstitution. We have by no means yet found this basis. Yet if we shall face disturbing problems of social integration, we shall confront even more agonizing problems of individual integration. For the multiplication of life styles challenges our ability to hold the very self together.
Which of many potential selves shall we choose to be? What sequence of serial selves will describe us? How, in short, must we deal with overchoice at this, the most intensely personal and emotion-laden level of all? In our headlong rush for variety, choice and freedom, we have not yet begun to examine the awesome implications of diversity.
When diversity, however, converges with transience and novelty, we rocket the society toward an historical crisis of adaptation. We create an environment so ephemeral, unfamiliar and complex as to threaten millions with adaptive breakdown. This breakdown is future shock.
P393
人間という有機体が吸収できる変化の量には調べてみればちゃんとわかる限界があり、また、前もって、この限界をはっきりさせずに、変化を限りなく加速化させてゆくと、われわれは自分たちが耐え得ないような厳しい状況下に頻繁に身を置くことになる。つまり、われわれは著者が“未来の衝撃”と呼んでいる奇妙な状態に人々をさらすという、大きなリスクを冒しているのである。しかし、じつのところ、こういった問題を論ずるのが本書の目的である。
P326
To understand this syndrome, we must pull together from such scattered fields as psychology, neurology, communications theory and endocrinology, what science can tell us about human adaptation. There is, as yet, no science of adaptation per se. Nor is there any systematic listing of the diseases of adaptation. Yet evidence now sluicing in from a variety of disciplines makes it possible to sketch the rough outlines of a theory of adaptation. For while researchers in these disciplines often work in ignorance of each other’s efforts, their work is elegantly compatible. Forming a distinct.
P342
明日の機械は人間をロボットに変え、個性を奪い、文化的多様性を奪い去ってしまうのだなと言いはるのは、頑固者のナンセンスである。
初歩的な多量生産主義がある種の均一性を課したからといって、なにも、趙産業化社会時代の機械までもが同じことをするとはかぎらない。実際には、将来の推進力はすべて、画一化-すなわち、均一的商品、均質化された芸術、マス・プロ化された教育、“大衆”文化―から離れる方向に動いていく。われわれは社会の科学技術発展上、弁証法的曲がり角にきているのだ。そして科学技術は、われわれの個性を抑制するどころか、選択の幅―自由―を数的にふやすのだ。
※弁証法とは、ぁる命題(テーゼ)と対立関係にある命題(アンチテーゼ)を統合し、より高い次元の命題(ジンテーゼ)を導き出す止場(アウフヘーベン)の考え方を土台とした思考法。
しかし、人間が、入手可能になる物質的・文化的品目の増加をうまく処理してゆけるかどうかは、まったく別問題である。というのも、選択の幅があまりに複雑、困難、高価となったため、個人を解放する代わりにその逆の働きをするときがやってくるからだ。つまり、選択が過剰選択となり、自由が非自由となるときがくるのだ。
P282
It is obstinate nonsense to insist,in the face of all this, that the machines of tomorrow will turn us into robots, steak our individuality, eliminate cultural variety, etc., etc. Because primitive mass production imposed certain uniformities, does not mean that super-industrial machines will do the same. The fact is that the entire thrust of the future carries away from standardization – away from uniform goods, away from homogenized art mass produced education and “mass” culture. We have reached a dialectical turning point in the technological development of society. And technology, far from restricting our individuality, will multiply our choices- and our freedom-exponentially.
Whether man is prepared to cope with the increased choice of material and cultural wares available to him is, however, a totally different question. For there comes a time when choice, rather than freeing the individual, becomes so complex, different and costly, that it turns into its opposite. There comes a time, in short, when choice turns into overchoice and freedom into un-freedom.
P402 新奇性へ反応
ヒンケル博士は「生活とは有機体と環境との間の絶えざる相互関係である」と述べている。われわれが、家庭内で起こった離婚とか死とかによってもたらされた変化、あるいはまた転勤とか、いや休暇によってでもよい、それによってもたらさせた変化について語るとき、われわれは生活におけるおもだった出来事について語っているのだ。そうではあるが、われわれみなが知っているように、日々の生活は小さなもろもろの出来事からなりたっている。つまり、日常生活では、こういった小さな出来事が、流れのようにわれわれの経験のなかにはいってきてはまた流れ去って行く。どのような大きな生活上の変化も、その変化が多くの小さな変化をも起こさせ、その小さな変化がさらにそれより小さな変化をもたらすからこそ、それが大変化である見なされるのである。加速してゆく社会において、生活の意味を把握するために、われわれはこれら“マイクロ変化”の段階についても、なかが起こっているのか知る必要があるのである。
われわれを取り囲む環境のなかであるものに変更が加えられると、どういうことが起こるのであろうか。われわれはすべて、絶え間なくみずからを取り巻く環境から送られてくるあれころの信号を身体いっぱいにあびているのだーそういった信号には目に見えるもの、耳に聞こえてくるもの、皮膚に訴えてくるものなどがある。
注目すべきことは、なんらかの新しい一組の刺激が与えられると、われわれは身体的に頭脳的にもほとんど直感的に、それらの刺激は新しいものだとわかる。また愛する人がやさしく指先でそっとふれたときのわずかなためらいでも、それはすぐ感じられる。どのような変化でも、それが起こると、きわめて広範囲な身体の機能が作動しはじめるのである。
犬は耳なれない音を聞いたとき、耳をそばだてる。犬はまた首を音の方に向ける。そして人間も同じような動作をする。刺激が変化すると、実験心理学者が言っている“準備動作の反応”をひき起こす。この準備動作としての反応は、またOR反応(Orientation response)
とも略称されているが、複雑にしてきわめて大がかりな身体的動作である。瞳孔が開くと網膜が光化学的変化を起こす。聴覚は瞬間的にさらに鋭敏になる。そして筋肉は無意識に動いて、その与えられた刺激の方向に感覚器官を向けてゆく。たとえば、われわれは音のした方向に耳に傾け、もっとよく見ようと目を細める。全体の筋肉が緊張する。脳波の型に変化が現われる。手足の指はそこを流れる動脈と静脈が収縮して冷たくなる。手のひらが汗ばんでくる。血液が頭にのぼる。呼吸と心膜の鼓動が変化する。
ある状態におかれると、われわれはこのすべてのことを行う。そしてさらにきわめて明確な形の“驚愕反応”(Startle reaction)と呼ばれる反応を起こす。しかし、われわれは自分自身でなにが起こっているかはっきり気づいていないときも、こうした変化は、環境のなかになにか新しい理由については、ごく最近になって神経学の専門家仲間で注目をひくようになったが、人間はその頭のなかに特別な、新しいものを探知する装置をもっているからだということなのである。ソ連の科学者E・N・ソコロフはORの働きについて最も詳しく説明をしているが、この人は、脳のなかの神経細胞は、はいってくる刺激の強度、持続性、質、その起こる順序などの情報を貯えるのだと言っている。新しい刺激が加えられると、これらの刺激は大脳皮質のなかの“神経モデル”に適合するようになっている。そこでOR反応が起こるのである。しかし、もし適合しようとしているうちに、それがすべてに頭脳の中に貯えられているモデルで間にあうということがわかれば、大脳皮質はただちに網の目のようにはりめぐらされた作動システムに信号を送り、改めて指示をすることになる。いわば、ここで作動中止を命じるわけである。
このような具合に、われわれを取り巻く環境のなかに生ずる新奇なものの程度は、われわれの身体にいろいろと直接に影響を与えるものである。さらに、ORなる反応は、けっして珍しいものではないのだいうことを認識することは大切である。そのような反応は、われわれを取り巻く環境のなかに各種各様の変化が起こるにつれて、たった一日の間にも、ほとんどの者に文字どおり何千回となく起こっているのである。OR反応は眠っている間でさえ繰り返し起こっているのである。
睡眠メカニズムの権威である研究心理学者アーディー・ルービンは「OR反応はきわめて大規模なものだ。身体全体が動き出すのだ。環境のなかで新奇なものが増してくると―それは変化の量がおおいに増すことを意味しているが―OR反応は継続的に起こることになる。こういったことはおそらく、人間の身体に大変なストレスが加えられることになる。それは人体におそろしく負担をかけることになるのだ。」
「もし、環境のなかに新奇なものがふえすぎると、人は心理的ノイローゼみたいなものにかかってしまう―その人は身体中にのべつまくなしにアドレナリンが働き、心臓の鼓動は高まったままであり、手は冷えきっており、筋肉は硬化し、細かくふるえるようになる―これらはすべて、通常OR反応に見られる特性である。」と言っている。
OR反応はけっして偶然に存在しているわけではない。それは神か人間に授けたものであり、それは人間の適応メカニズムの中心をなすものである。OR反応は人々に鋭い感受性をもたせ、外界からの情報を少しでも多く取り入れることができるようにさせている。たとえば、少しでもよく見えるよう、聞こえるようにさせている。それはまた、突然、筋肉を使わなければならないときでも、いつでもちゃんと準備ができているようにしている、つまり、OR反応は人間にいつも戦えるように、またいつでも飛びたてるようにしているのである。
だが、ルービンが説明しているように、OR反応は人間の身体をくたくたに疲れさせてしまうものである。なんとなれば、OR反応はそれをちゃんと有効に機能させるには、相当のエネルギーを必要とするからである。
OR反応はそれ自体がストレスを起こすものであるから、われわれはその反応が終わるとほっとするものである。これは、考えや知識の場合には、いままでなんとなくわからなかったことがとうとう理解できたときに、つまり問題が解けたと思ったときに、われわれが経験する“ああ、わかった”という反応である。われわれはこの“ああ、わかった”という反応はごくまれにしか気がつかないだろう。しかし、OR反応と“ああ、わかった”というこの二つは、人間の意識の層のわずか下のところで、たえず起こっているのである。
したがって、新奇性―知覚できる新奇なものならなんでも―というものが、人間の体なのか、とくにその神経組織に爆発的な活動をひき起こすものである。OR反応は人間の体内でフラッシュバルブのように、外界でいろいろなことが起こる瞬間に、パッ、パッとひらめくのである。人と環境はたえずゆれながら相互に影響しあっているのだ。生活様式の修正といったものなどをふくめて、実際、未知のものと直面せざるを得なくさせるものならなんでも、この適応反応をひき起こすものなのである。
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デュボス博士はさらに続けていっている。「内分泌系統を刺激しすぎると、その組織体はそれが生きている間、ずっと続くような生理学的影響を受ける。この事実はきわめてはっきりしているのだ。」と。
P333
“Life,” says Dr. Hinkle, “…implies a constant interaction between organism and environment.” When we speak of the change brought about by divorce or death in the family or a job transfer or even a vacation, we are talking about a major life event Yet, as everyone knows, life consists of tiny events as well, a constant stream of them flowing into and out of our experience. Any major life change is major only because it forces us to make many little changes as well, and these, in turn, consider of still smaller and smaller changes. To grapple with the meaning of life in the accelerative society, we need to see what happens at the level of these minute, “micro-changes” as we.
What happens when something in our environment is altered? All of us are constantly bathed in a shower of signals from our environment ―visual, auditory, tactile, etc. Most of these come in routine, repetitive patterns. When something changes into our nervous system is modified.
The routine, repetitive patterns are interrupted ―and to this interruption we respond in a particularly acute fashion.
Significantly, when some new set of stimuli hits us, both body and brain know almost instantly that they are new. The change may be no more than a flash of color seen out of the corner of an eye. It may be that a loved one brushing us tenderly with the fingertips momentarily hesitates. Whatever the change, an enormous amount of physical machinery comes into play.
When a dog hears a strange noise, his ears prick, his head turns. And we do much the same. The change in stimuli triggers what experimental psychologists call an “orientation response.” The orientation response or OR is a complex, even massive bodily operation. The pupils of the eyes dilate. Photochemical changes occur in the retina. Our hearing-becomes momentarily more acute. We involuntarily use our muscles to direct our sense organs toward the incoming stimuli—we lean toward the sound, for example, or squint our eyes to see better. Our general muscle tone rises. There are changes in our pattern of brain waves. Our fingers and toes grow cold as the veins and arteries in them constrict Our palms sweat Blood rushes to the head. Our breathing and heart rate alter.
Under certain circumstances, we may do all of this—and more—in a very obvious fashion, exhibiting what has been called the “startle reaction.” But even when we are unaware of what is going on, these changes take place every time we perceive novelty in our environment.
The reason for this is that we have, apparently built into our brains, a special novelty-detection apparatus that has only recently come to the attention of neurologists. The Soviet scientist E. N. Sokolov, who has put forward the most comprehensive explanation of how the orientation response works, suggests that neural cells in the brain store information about the intensity, duration, quality, and sequence of incoming stimuli. When new stimuli arrive, these are matched against the “neural models” in the cortex. If the stimuli are novel, they do not match any existing neural model, and the OR takes place. If, however, the matching process reveals their similarity to previously stored models, the cortex shoots signals to the reticular activating system, instructing it, in effect, to hold its fire.
In this way, the level of novelty in our environment has direct physical consequences. Moreover, it is vital to recognize that the OR is not an unusual affair. It takes place in most of us literally thousands of times in the course of a single day as various changes occur in the environment around us. Again and again the OR fires off, even during sleep.
“The OR is big!” says research psychologist Ardie Lubin, an expert on sleep mechanisms. “The whole body is involved. And when you increase novelty in the environment—which is what a lot of change means—you get continual ORs with it. This is probably very stressful for the body. It’s a helluva load to put on the body.
“If you overload an environment with novelty, you get the equivalent of anxiety neurotics—people who have their systems continually flooded with adrenalin, continual heart pumping, cold hands, increased muscle tone and tremors—all the usual OR characteristics.”
The orientation response is no accident. It is nature’s gift to man, one of his key adaptive mechanisms. The OR has the effect of sensitizing him to take in more information—to see or hear better, for instance. It readies his muscles for sudden exertion, if necessary. In short, it prepares him for fight or flight. Yet each OR, as Lubin underscores, takes its toll in wear and tear on the body, for it requires energy to sustain it.
Thus one result of the OR is to send a surge of anticipatory energy through the body. Stored energy exists in such sites as the muscles and the sweat glands. As the neural system pulses in response to novelty, its synaptic vesicles discharge small amounts of adrenalin and nor-adrenalin. These, in turn, trigger a partial release of the stored energy. In short, each OR draws not only upon the body’s limited supply of quick energy, but on its even more limited supply of energy-releasers.
It needs to be emphasized, moreover, that the OR occurs not merely in response to simple sensory inputs. It happens when we come across novel ideas or information as well as novel sights or sounds. A fresh bit of office gossip, a unifying concept, even a new joke or an original turn of phrase can trigger it.
The OR is particularly stressing when a novel event or fact challenges one’s whole preconceived world view. Given an elaborate ideology, Catholicism, Marxism or whatever, we quickly recognize (or think we recognize) familiar elements in otherwise novel stimuli, and this puts us at ease. Indeed, ideologies may be regarded as large mental filing cabinets with vacant drawers or slots waiting to accept new data. For this reason, ideologies serve to reduce the intensity and frequency of the OR.
It is only when a new fact fails to fit, when it resists filing, that the OR occurs. A classical example is that of the religious person who is brought up to believe in the goodness of God and who is suddenly faced by what strikes him as a case of overwhelming, senseless evil. Until the new fact can be reconciled or his world view altered, he suffers acute agitation and anxiety.
The OR is so inherently stressing that we enjoy a vast sense of relief when it is over. At the level of ideas or cognition, this is the “a-hah!” reaction we experience at a moment of revelation, when we finally understand something that has been puzzling us. We may be aware of the “a-hah” reaction on rare occasions only, but OR’s and “a-hah’s” are continually occurring just below the level of consciousness.
Novelty, therefore—any perceptible novelty—touches off explosive activity within the body, and especially the nervous system. OR’s fire off like flashbulbs within us, at a rate determined by what is happening outside us. Man and environment are in constant, quivering interplay.
…
Dr. René Dubos, author of Man Adapting, that such changeful circumstances as “competitive situations, operation within a crowded environment, change in a very profound manner the secretion of hormones. One can type-read that in the blood or the urine. Just a mere contact with the complex human situation almost automatically brings this about, this stimulation of the whole endocrine system.”
What of it?
“There is,” Dubos declares, “absolutely no question that one can overshoot the stimulation of the endocrine system and that this has physiological consequences that last throughout the whole lifetime of the organs.”