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アーティスト殺人行為①~「その人らしさ」が殺される絶望~

「その人らしさ」を大事にすること

子育てをする上で大事なことって、色々あると思いますが、私が一番大事にしているのは「その子らしさ」(平たく言うと、その子が夢中になっている、「〇〇したい」と思えている部分)を殺さないってことです。その子らしさを潰さない限り、その子は自分らしく伸びていって、それが何より幸せなことだと思うからです。なぜそう思うのかといえば、私自身がその部分を潰されてしんどかった背景があり、その後心理学を学びながら自分を振り返った経緯、そして自分の子どもと日々向き合う中で感じること、そうした諸々のプロセスの中から、これが一番!と腑に落ちているからです。

もちろん、この考えに反対する方もおられるでしょうし、もっと違ったことに価値を置くという方もおられると思います。そうしたご意見も聞いてみたいなと思います。でも今日は、私がなぜ「その人らしさ」を殺さないことが一番大事だと思うかを綴りたいと思います。一人でも共感してくれる方がいたら嬉しいなと思います。

アーティスト殺人行為

最初に書いたように、私は「その人らしさ」を殺さないってことが一番大事だと思っています。このことを改めて綴ろうと思ったのは、「アーティスト殺人行為」という言葉に出会ったからです。この言葉は、音楽プロデューサーをした後にニュージーランドに移り住んでミニマリストをされている三角大輔さんが、ある動画の中で使われていた言葉です。「そうそう!」と深く納得し、私の言う「その人らしさ」を殺すという行為にぴったりの言葉だと思ったので使わせて頂きます。(ぴったりの言葉があった方が、イメージしやすい!ありがたい!三角さんの言葉の定義とズレていたらすみません)

三角さんは、絢香、Superfly、CHEMISTRYなど一流アーティストを手掛けた方です。そんな:三角さんが使われていた言葉、「アーティスト殺人行為」は、特別な才能を持っている人の才能を殺す行為、と捉えられかねません。実際、上記の一流アーティストたちでさえも、売れる前には「あんたのことを思って」「音楽だけで食べていける人って世の中でどれくらいいると思う?」と皆さん言われてきたそうです(こうした言葉でその人らしさを潰すのが「アーティスト殺人行為」。三角さんは、これが世の中でたくさん起こってしまっていると嘆かれていました)。

大人たちからそんなこと言われたら、10代、20代の若者が、たとえめちゃくちゃ才能のある人であったとしても、「いや、自分には才能がある!」「自分はこの道を究めるんだ!」と言えるでしょうか。そう言って、周りからの言葉をはねのけられる強靭な精神があれば一番良いんでしょうが。なかなかそうはいかないですよね。

大人たちは、良かれと思って。若者のため、子どものために、「この道は危ないよ」「こっちの方が安全だよ」と、一見良さそうな、安全そうな道を示しがちです。でも、それって本当に「その子にとって良い道」なんでしょうか?「その子らしさ」が発揮できる道を示せてるんでしょうか。

「アーティスト殺人行為」って、別に、突出した才能がある人や、芸術分野の人だけに起こることではないと私は思っています。誰だって、凸凹があります。その凸凹の「尖った部分」、自分が夢中になるほど大好きで苦も無くできてしまう部分が、「その人らしさ」。そして、その尖ってる部分を伸ばすことがその人の使命だと私は思いますが、その部分が潰される「アーティスト殺人行為」は往々にして起こります。
「アーティスト殺人行為①」では、まず私の身に起こった「大きな事件」について綴りたいと思います。

私の体験~大きな殺人行為~

私が、「アーティスト殺人行為」にあったことは、大きな事件でいえば2回あります。一つ目は、私が幼稚園、小学生の頃の出来事。似たような出来事について、身に覚えがあるなあって方もおられるのではないかと思います。

私は小さい頃から絵を描くことが大好きで、絵画教室にも通っていましたし、絵画で小さな賞から「県で一番」くらいの賞をもらったりしていました。自分にとっては賞をもらう以前に、ひたすら「絵を描くことが好き」。ただそれだけでした。そして、将来何になりたいかと聞かれたら「画家になりたい!」と言っていたんです。でも、親からは「そんなの、食べていけないでしょ」と一蹴され、そんな意見はなかったかの如く。軟弱な私は、その一言で撃沈。「食べていけない」イコール「この道はムリなんだ」と自分の中で変換され、その道を追うことを諦めてしまったのでした(簡単に書いてますが、当時の私は「食べていけないでしょ」と言われた時、奈落の底に突き落とされたような気持ちでした)。

「そんな言葉で折れてしまうくらいの気持ちしかなかったんやろ」「それだけの強さがなかっただけ」と言われれば、本当にその通りなんです。でもこれが、私が一回目のアーティスト殺人行為に出会った出来事でした。(残念ながら、今でも引き摺っている思いです・・・)

そして二回目は、紆余曲折あって、カウンセラーになろう!と思い立った時のことです。その資格を取るためには、大学の所属研究室の先生の推薦状が必要だったんです。私は大学時代、色んな学部を放浪していたので、カウンセラーになるためには、在籍している学部とは違った大学院を受験する必要がありました。当時在籍していた学部の教授に推薦状を書いてもらうようお願いしに伺った時、「え?(他学部の大学院に行くなんて)そんなの無理でしょ」と言われたんです。客観的に見たらそうだったんでしょう。今、大人になった私から見ても、確かに無理筋な話だなあと思います(汗)でも、私にとっては「この道だったら、何度挫折してもやり抜ける」と初めて思えた道だったんです。「無理でしょ」と言われた私は、めちゃくちゃ悔しかった。帰り道、泣きながら自転車を漕いで「絶対、受かってやる!」と心に誓いました。

そう。一回目のアーティスト殺人行為の時には、「私にはムリなんだ」と諦めてしまいましたが、二回目の時は「なにくそ!」という思いを持てたんです。そして、死ぬほど勉強して受かりましたよ。大学院。そして、晴れてカウンセラーになったのでした。

これが、私の受けた大きな「アーティスト殺人行為」事件、2つです。

子どもの「その子らしさ」を潰したくない

こんな殺人行為を受けて悔しい思いをしてきた私は、子どもが「〇〇になりたい」「〇〇やりたい」と言った時、それを簡単に「食べていけないでしょ」「無理でしょ」とは却下したくない。子どもなりに思うところがあって、その思いを語ってくれているんだから、それを真摯に受け止めたい、と思います。「できる」か「できない」か、ではない。「食っていける」か「食ってけないか」ではない。まずは、その子から素直に発せられる「〇〇したい」という思い(夢中になっていること)を聞き取りたいのです。

人が「〇〇したい」って言う時って、その子なりの伸びたい方向性を示してると思うんです。それは、その人が持っている凸凹の突出した部分を生かそうという無意識の発露だと思うんですよね。それを私は大事にしたい。そうすれば、その子は勝手に伸びていくと思います。(それを「食えるように」する力もつけていく必要がありますが、「〇〇したい」という原動力があってこそ馬力が出ます)

だから私は、「その人らしさ」を潰さないことが、子育てで一番大事なことだと思っています。

でも・・・。こんな大きな殺人行為ばかりではなく、実は日常においても、小さな殺人行為は残念ながら起こってると思います。いや、実際、私が子どもの頃に殺されてきたな、って思う出来事がありました。そんな「私の体験~日常の小さな感覚を殺されること~」については、②で綴りたいと思います。

つづく


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