ぎゅうぎゅう…プンプン…じうじう 【物語】
夫のテル宛にお歳暮が届いた。しかもクール便で届いた。
リンは品物の項目を見て白目になった。
『今判 すき焼き用牛肉』
とにかく中を改めんことには…と、包装紙を慎重に外してゆく。木箱が現れた。緊張が高まる。震える手でそっと蓋をズラすと、肉は一枚一枚丁寧にビニールで包まれていた。
「ホンマもんだ………」
リンはオロオロしながら木箱を抱えて落ち着かない。かと思うと、突然ハッと我に返り、冷蔵庫内にスペースを空けて神棚よろしく木箱を祀った。
テルが帰ってきたら、今判殿の行く末を話し合おう。今夜は忙しくなりそうだ。
💓🐃💓
議題: 今判殿の身の振り方。
「おリン、きみはどうかしてるんじゃないのか?」
「でもさ、いま冷蔵庫にはジャガイモとナスともやしがあるんだよ?すぐ食べるなら焼肉でしょ?」
「話にならんよ。ここ!見てみなさいよ!『す・き・焼・き・用』って書いてあるでしょうが!」
「だって、今ある野菜を生かせるんだよ?冷蔵庫の中、結構パンパンよ?使っていかないと」
「だとしても、すき焼きのメンバー(具材)揃えるんだよ!でなきゃ、今判殿に失礼だ!」
夜9時を過ぎていた。遅くまで開いているスーパーは隣町まで行かないとない。ふたりはリンの赤い軽自動車に乗り込み、凍てつく夜道をひた走った。
🐃💨💨
焼き豆腐が品切れだった。
車の中で、リンはテルから散々なじられた。
「なぜ昼間のうちにすき焼きの材料を買いに行かなかったんだ」
「すき焼きより焼き肉の方に分配があがってたの!アンタは食べるだけだからわからないだろうけど、すき焼きって結構手間だからね?」
「話のわからん人だ。あの肉はすき焼き専用で、絹のように繊細な肉なんだぞ。ああ、春菊もしらたきも買ったのに、どうして焼き豆腐だけがないんだ!」
「木綿豆腐買って焼けば?手間増えるけど」
「おリンちゃんは、手間手間手間手間うるさいんだよ!手間なくして美味しい料理にはありつけないからね」
「その手間、誰の手間だと思ってんのよ」
以下、ふたりの不毛な言い合いは、車を降りてアパートに着くまで繰り広げられた。
🐃💢
そんなわけで、今判殿のご開帳は一旦保留となり、今や中途半端なすき焼きの材料達によってぎゅうぎゅうになった冷蔵庫は、末期のテトリス状態となった。
翌日。険悪な朝を迎え、テルが仕事へ行くときも、「いってきます」「いってらっしゃい」のやりとりはないまま。
リンは目につくあらゆる物に苛立ちをおぼえた。リビングと廊下には、テルの荷物が床に直置きされ、靴箱もリンのスペースにまでテルのいつ履かれるかもわからない新品の靴達が侵略してきている。
そして今度はついに冷蔵庫まで!
年末、ただでさえやることがいっぱいなのに、頭の中も住まいもパンク寸前だ。
人はキレるときプツンとはならない。端から見たら、プツンが妥当な擬態語なのかもしれないが、リンの場合、キレた瞬間の音は、ースンッ…であった。
リンは無表情でリビングや廊下に放置されたままの、テルの荷物や服をすべて彼の書斎に放り込んだ。
何も今回の今判騒動だけが理由ではない。
いつも邪魔扱いされ、飲み物がほしいときや背中を搔いてほしいときだけリンを呼ぶ夫。良かれと思ってやったことは怒られ、怒られると見越してやらなかったことは叱られる。何をしても文句を言われるのだ。
リンの溜まりに溜まった怒りは、岩合さんのねこ歩きを観賞したことでやっとこさ収まってきた。
落ち着きを取り戻したので、冷蔵庫の中をどげんかすることにした。
白菜を洗って切る。手間だ。春菊の固い根元の茎を落としてから切る。手間だ。椎茸を切る…と怒られそうなので、テルの分は飾り包丁してから丸ごと残し、自分の分だけかさ増しで三等分に切る。手間だ。えのきの黒っぽい石づきを切り落とし、あとは食感よく食べられるくらいの4~5本の束にしてほぐす。手間だ。ニンジンを薄く切る…が、テルの分はお花の飾り包丁を入れる。手間だ。あく抜き不要のしらたきはありがたい、が、やはり切る。手間だ。ネギを切る。もはやこんなのは可愛い手間だ。
これらを各々ジップロックし、夕飯時、すぐ調理に取りかかれるよう冷蔵庫へ戻した。中央に鎮座する今判殿は黙して語らず。
リンは米を研いで炊飯器にセットし、タイマー予約した。そして、洗濯物を入れて畳み、テルの荷物をどけたことで久しぶりに出現した床を磨き、トイレ掃除を終え一息。
報酬は、ない…と呟く。怒りがぶり返す前に、赤い軽自動車で焼き豆腐を買うため出かることにした。
🐃♨️
果たして、焼き豆腐は無事買えた。
あとはテルの帰りに合わせてすき焼きを作ればよい。
あんなに吹き荒れていた心も今は凪。
そうだ、半年前にオープンした日帰り温泉にでも行ってみようか。一年の罪穢れ厄を落とすにはもってこいな気がした。
テルが家に帰る前にすき焼きを作る時間を逆算すると、2時間はいられそうだ。そうと決まれば善は急げ。リンの車は国道を駆け抜け、癒しの湯世界へと消えていった。
💢🐃💢
ほわほわ全身から湯気をのぼらせ、アパートの駐車場に降り立つと、突然頭上で雨雲が渦巻いた。洗濯物、入れておいてよかったとホッとしたのも束の間。扉を開け、リンは戦慄した。
伏魔殿…。いや、服が出てんで?なんでや?
廊下に散らばる服、服、服。見覚えのある荷物、服、荷物。キッチンに足を踏み入れると、数時間前に切ってジップロックしたはずの食材達が、すべてごみ箱に放り込まれていた。
これは悪夢か?泥棒でも入ったのか?野菜を棄てる泥棒って何?
ヨロヨロ足をもつれさせ、リンはテルの書斎を開けた。
魔王がいた。
「な…なんで…、すき焼きの…具材…せっかく切ったのに…なんで?」
息も絶え絶えに訴えるリン。
「こっちこそ聞きたい。仕事で疲れて帰ってきたら、服や荷物で部屋を荒らされていたのはなぜなんだ?」
火焔を背負って怒りの形相のテル。
「まさか、今判殿にまで手をかけたのか?」
「愚か者!今判殿に罪はない!」
「こんの暴君!アンタのような自分のことしか考えない時代錯誤の勘違い将軍がいるから、私は…!くっ…ぐくうっ…食べ物を粗末にしやがって!罰当たりめ!くうっ…すき焼き…焼き豆腐、買ったのに!ううぅっ…」
リンはテルをポカスカ殴りながら嗚咽した。飾り包丁までした自分が哀れで滑稽に思えて悔し涙が溢れた。
リンの仕打ちに制裁を下したつもりのテルは、足下に落ちた焼き豆腐の小さな袋を見つけ、ハッとした。
「ごめん。おリンちゃん、ごめん」
「食べ物に謝れ!私にはもっと謝れ!」
「でも…昨日の喧嘩の腹いせにこんなことされたと思って」
「理由はひとつじゃない!自分の行い振り返れ」
「悪かったよ、謝るから。焼き肉にしよう。ね?」
泣きすぎて体に力が入らないリンをソファに横たえると、テルは腕まくりした。
✨️🐃✨️
換気扇を回す音がゴゴォ~とリビングに轟く。冷蔵庫をパタンと閉める音。もやしをザルにあけて洗う水音。
リンはゆっくり起き上がると、カウンターの横からキッチンを覗いた。
フライパンに牛脂を塗りたくるテル。
「安い牛肉でも高級な牛脂で焼けば、肉は高級な味になるんだ」とよく彼から聴かされていたが、今回は、高級な牛脂で最高級の牛肉を焼く。
Ladies and Gentlemen!大変長らくお待たせしました。今判殿、ついにご登場です!
頭の中では、クリス・ペプラーの場内アナウンス。
ビニールを丁寧に剥がし、美しいサシの入った牛肉を破れぬよう慎重にフライパンに広げてゆく。すると、透き通ったサラサラの脂の海に、じゅうじゅう音の拍手喝采!なんとも華やか。
焼いては皿に載せ、4枚仕上げたところでふたりはテーブルに駆け込み、席に着いた。
箸で持ち上げた今判殿は、熱を加えてなお輝きを失わない。牛脂の役割は大きい。
「ささ、リンちゃん、早くお食べ」
「…それでは、いざ!」 ゴクリ。
黒胡椒をミルで挽き、お土産でいただいた外国のピンクの塩粒を散らす。何かに祈りを捧げ、一口…いや、一気に一枚。
ぎゅうぎゅう、じうじう。幾度の困難を乗り越え、やっと口にした今判の牛肉は、甘くとろけて上品な香りと舌ざわり。次は醤油でいこう。これもまた美味なり。
「これが天上人の食べる肉か…」
「雅じゃ。ほんに高貴なお味じゃ」
五人前はあろうかという量だったので、ふたりは心ゆくまで味わいつつも、どこか余裕。どんどん焼いてじゃんじゃん食べる気満々だ。
「また一日置いてもよくないし、食べきろう!おリン」
「望むところよ」
焼く、盛る、食す。焼く、盛る、食す。ワルツを踊るように今判殿を平らげてゆくふたり。
そのリズムは少しずつ乱れ、最後の二枚にさしかかると、ふたりはお互いに肉を譲り合った。
「テルさん、どうぞ。召し上がって」
「いやいや、僕はもうじゅうぶん。おリンちゃんこそ召し上がれ」
どんなに高級でさらさらの脂でも、若くないふたりの胃で五人前の焼き肉を受け止めることは困難であった。
「やっぱりすき焼きにすればよかったんだよ。そうすればこんなにもたれないで済んだはず」
「まだ言うか?野菜を棄てたのはテルでしょ?」
「せっかくのすき焼き用牛肉を、焼き肉にするだなんて考えた末路がこれだ」
「ねえ、もやしはどうしたの?他の野菜は?」
「洗って切ったけど、焼く隙がなかった」
流しには、ザルいっぱいのもやしと野菜が放置されていた。
「野菜を挟めばもたれずいけたのに!」
「肉焼いてもいないのに、うるさいよアンタ」
「私は散々野菜切ったの!そしてアンタに棄てられたの!」
「だから、悪かったって言ってるじゃん」
「野菜に謝れ!」
「ああ~、せめて半分すき焼きにできていたら!」
「すき焼きすき焼きって、すき焼きはそんなに偉いのか~!」
「今判殿は最初から、自分はすき焼きになりたいと箱に書いて示しておられたのだぞ」
「ああもう!しつこい!割り下の海で溺れちゃえ!」
夫婦喧嘩は牛も食わない。
🎶🐃🎶
翌日の朝。
「おリンちゃん、僕、今夜夕飯いらないや。今日、忘年会なんだ。今の今まですっかり忘れてた」
「そうなの。帰り車で迎えに行こうか?場所はどこ?」
「五十路」
「五十路?」
五十路は、ちょっとお高い牛肉が食べられる、すき焼き・しゃぶしゃぶの料亭レストランである。
「へえ……すき焼き食べ放題だね」
「………」
もう一度言う。
夫婦喧嘩は牛も食わない。
~おわり~
長めのお話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀
💓😸💓
今年一年、noteではうれしい出来事にたくさん恵まれました!
踊り部のお話を私選に取り立てていただいたり、音声配信すまいるスパイスのカフェ🐧ペンギンにお呼ばれしたり、ピリカ文庫に物語を書かせていただき、朗読もしていただきました😭💖
そして、月猫のお話を小雑誌ウミネコに載せていただく幸運にも😹✨️
本当にお世話になり、ありがとうございました!
みなさんのnote記事やコメントを読んで、笑ったり感動したり、ドキドキして時間を忘れ、また、そのお言葉の数々に救われ元気にしてもらいました!😆💕
本当に感謝感謝の2022年。
おちゃらけるくせに打たれ弱い私ですが、2023年もnoteでみなさんと楽しい時間を分かち合えたら幸せです🎵
それではみなさま、良いお年を!
もしくは年明けていたら、今年もよろしくお願いしますね😽💖
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