冷やしココアはじめました ~北風ココアの夏 ~ 【物語】
あの足音は、間違いなくあの人だ。
ココア屋のマスターは慌ててキャビネットからレコードを取り出した。
廊下から店の入口に近づいてくるその影。
本当なら映画STAR WARSダースベーダーのテーマを流したいところだが、彼女のリングネームは(もとい占い師ネームは)「若山ジュリエット」。BOØWYファンの姉のために、マスターは『わがままジュリエット』を入場曲としてかける。
「はぁ~、あっつい!暑い暑い暑い!」
5つしかないカウンター席のど真ん中に腰かけたジュリエットへ、マスターは熱々のココアを淹れたカップ&ソーサーを流した。
言い間違いではない。置いたのではなく流した。
これはマスターの数少ない特技であり、お客が来るとまずカウンターテーブルにカップ&ソーサーをスライディングさせる。
スライディングと言っても、到底常人には真似できぬ妙技。木目の浮き出たテーブルのラインを正確に読み取り、手首のスナップを利かせながらその上を滑らせ、お客の目の前でピタリと止めるのだ。
メニューはココアしかないので注文を聞くまでもなく用意され、「うちの店、ココアしか提供しておりません」という決め台詞を添えて流す。
これがマスターのルーティーンである。
「あんたも頑固ねぇ。私は冷たい物が飲みたいのよ」
「しかしだね、姉さん。うちはココア専門店…」
すると、ワガママな若山ジュリエットは、テーブルの上にストンとプラスチックのカップを載せた。
こともあろうに、スタバのマークが付いている。
このココア屋の両隣にはマックとスタバがあり、その間に挟まれたサフラン色の扉の先が廊下でこの店に繋がっている。いわゆる旗竿敷地の物件だ。
姉のジュリエットは愕然としている弟を見て満足げな笑みを浮かべた。これ見よがしにフラペチーノの入ったカップをこめかみに当て、恍惚の表情。そして、トスッとフタの穴にストローを差し、一口めを吸引力の続くままに吸い上げた。
「んー、ぅんまいわぁ」
「ひどいよ姉さん」
「なーに言っちゃってんのよ!アスファルトの照り返しを受けながらやっとここにたどり着いた私に熱々のココアを出すあんたの方がよっぽど鬼よ」
姉のためにとかけたBOØWYが切なく響く。
「昨日は何人お客が来た?」
「…突然何を…」
「何人来たの?」
「昨日は平日のど頭だったからね」
「ひとりも来なかったのね」
「…」
ズゾゾッとフラペチーノを平らげたジュリエットは、タンッとカップをテーブルに叩き置いた。
「冷やしココアをおやりなさい」
カッと見開かれたその目には、有無を言わさぬ迫力があった。
「何を藪から棒に…」
「藪から棒ではない。だいぶ伏線を張ったつもりよ」
「ココアに氷を入れろとおっしゃるのですか?」
「そう」
「イヤです」
しばらくふたりはカウンター越しに睨み合った。
が、マスターが先に堪えきれなくなって「ご無礼お許しください」と頭を下げた。悔しいが、この姉の言うことをきいておくと事態は大抵良い方向に転ぶからである。
「このココア屋を長く続けていきたいのなら、私の言うことを聞きなさい」
「でもね、姉さん。アイスココアにしたら、まじないのマシマロは溶けてくれませんよ」
“まじないのマシマロ”とは、占い師であり魔女の末裔でもある若山ジュリエットが仕掛けるとっておきの魔法である。
縁あってこの(文字どおり)隠れた名店に迷い込んだお客のため、ココアに添えられるマシマロには『一歩踏み出すキッカケのおまじない』がかけられており、彼らがそれを飲み干したあとには何かしらの素敵な展開があるという魔法だ。
「あんた、小さい頃クリームソーダが好きだったじゃない?」
「そうそう、バニラアイスと氷の間のソーダに染まったシャービイな部分が好きでさ…」
「アイスココアにはバニラアイスを浮かべてお出しするのよ」
マスターはハッとして手を打った。
「なるほど!アイスにまじないをかけるわけだね!」
「ザッツライッ」
バニラアイスがポコッと浮かぶアイスココアを想像し、マスターは少しうっとりした。けれど、自分の今まで築き上げてきたルーティーンを崩されることに彼はまだ納得がいっていない。魔女の血すじを多少なりとも受け継いでいるマスターにも、彼なりのささやかな魔法があるのだ。
カウンターテーブルを貫くレールのような木目には、これまで姉が『ホッとするおまじない』『元気が出るおまじない』をかけてくれていた。だが、マスターは鍛練に鍛練を重ねた結果、そのまじないの更新を出来るまでになっていたのである。
「あんたの不安な気持もわかるわ。でもね、改革なくして成長なし!うだるようなコンクリートジャンルから命からがら迷い込んでくれたお客様の喉とハートを潤すのはココア屋たるあんたの役目!」
「俺、大事なこと見失いかけていた」
「改革の夏、成長の夏よ!」
「そうだね、俺、やるよ!」
「お客様に来てほしいなら…あとは、そうねぇ…」
「姉さん、何でも言ってくれ!」
「本棚を設置して『ガラスの仮面』全巻を並べるといいわ」←ガラかめファン
「よしきた!ホイきた!『ガラスの仮面』だね?」
「そして紫のバラを飾るのです」
「紫のバラ?」
「おやりなさい!マヤ!」
「マヤ??」
若山ジュリエットは言いたいことだけ言って、自分の仕事場(駅前百貨店レストラン階の占いコーナー)へと帰っていった。
店内にはBOØWYの『MARIONETTO』が流れている。
マスターは早速ジュリエットの言いつけに従いアイスココアを作り始めた。氷の入ったグラスに濃いめのココアを注ぐ。そこへポコンとバニラアイスを浮かべ、深呼吸。
精神統一。
つつつーーー))) ガシャーン💥
姉、若山ジュリエットのあやつる糸を断ち切れる日は、果たして訪れるのか?
「鏡の中のマリオネット、か…。そういえば、
今年の夏ピリカのテーマは『鏡』だったな…」
アイスココアスライディングに成功し、『冷やしココアはじめました』の貼り紙を表の扉に貼れたあかつきには、夏ピリカに応募してみたいな…なんて。
ちょこっとジュリエットの魔法にかかっているマスターなのだった。
☕
この度、めでたく開店されました🐧カフェ・ペンギン様江、ココア屋マスターから“昔懐かし喫茶店のテーブルに置かれていた🔯星占いおみくじ自販機”数台を贈呈させていただきました。
若山ジュリエットの魔法がかかっておりますので、的中率はなかなかのものかと🌟
🎉こーたさん、Marmaladeさん、おめでとうございます!💐