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※この物語はフィクションです。
(約3,400文字/画像5枚)
昔々、かつて長きにわたる苦難の末フランス兵の屍山血河を成した町に、アンという名の、僕がその地を去ってからの三か月で6キロ太った可憐な少女が住んでいました。
アンは対抗心がとても強く、先日、僕が、
「母さんが服買ってくれた」と言うと、彼女は、
「君がこっちへ戻ってきたら、すぐにカステルグエルフォ(のアウトレットモール)へ行こう!」と返してきました。
また、『君がため春の野に出でて若菜摘む(…)』を書写し、その意味を取ったあとは、光孝天皇に対抗し、僕のため春の野に出でてイタリアにおける代表的な早春の草花を引きちぎってきたのです。
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ちなみに、アンのお友達のサルヴァトーレは、この歌を書写したとき、
「なんて変わった Tanka なんだ!」と言いました。
まだイタリア語訳を確認していないのに、どうして歌意がわかるんだよ... と思っていると、彼は、
「同じひらがなが二個ずつ、何回も出てくる。こんなことは初めてだ!」と続けます。
はるのの、いでて、ふりつつ、
わかなつむ
わがころもでに...
...まぁ、確かに。
また、サルヴァトーレはガキ用水彩絵の具で詩画を描く前に、
「あぁ、雪かぁ... 俺は雪だけはどうしてもうまく描けないんだ...」と、雪以外なら何でもうまく描ける、みたいなことを言いました。
まぁ、それはいいとして、だったら『田子の浦に(…)』のときはどうだったんだよ... と思い、過去の記事を確認してみると、そのときはまだ歌に絵を付けることはしていなかったのです。
...そんなこんなで、できあがった書写と詩画がこちら。
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早起き家でて
画材つむ
都合良!ふでに
雨はふりつつ
...それでは一度リアルに戻って、今回も、こちら[↓]に掲載された浮世絵を見ながら一首詠みます。
[Dopo raccolto le piante per la mia amata, mi sono accorto che...]
Oh, Santo Cielo, ma perché non si mettono le scarpe?!
Dai, prima di portargliele, compriam stivali e sciarpe!
(日本語訳)
[詞書]愛しの彼女に若菜を摘んだあと、僕は気付いた...
おお、なんてことだ、なんでこいつら靴を履いてねぇんだよ?!
彼女に若菜を届ける前に、ブーツとマフラーを買おう!
十一音節詩行のうち、4,8(または7),10音節目にアクセントがあるものは五七調、6,10音節目にアクセントがあるものは七五調であることに最近気付いた。IQが85じゃなければ、もっと早く気付いていただろうに… というわけで、七五調の二行詩。イタリア語詩において、僕がこの詩形の創始者じゃねw
Tutti coi piedi nudi sulla neve 🏔️
Lasciam le nostre impronte 👣
Sudor bagna la fronte 💦
Da lì al congelamento il passo è breve ❄️
(日本語訳)
みな裸足 足跡残せ👣 雪の中🏔️
額に汗し💦 すぐ凍り付く❄️
訳: ローリス M.
対抗心の強いアンも、僕に倣い、いつもとは異なる詩形(11音節詩行と7音節詩行の四行詩[交差韻])を作った。でも、これだと "Tanka" とは言えないから、日本語訳を短歌にしてやった。
...さて、話は戻りますが、かつて長きにわたる苦難の末フランス兵の屍山血河を成した町から車で40分ほどの所にラヴェンナという町があり、昔々、そこにヴィオーラという名の、絶世の美少女が住んでいました。
美貌という点において楊貴妃は足元にも及ばず、有能という点においては、遣唐使として長安に渡っていれば仲麿以上に玄宗皇帝から重用されたであろう彼女の生業は、しかし、スリでした。
スリは、いけないこと。とはいえ、ヴィオーラは "親から渡された金にはいっさい手を付けない" というルールのもと自発的にストリートチルドレンをしており、生きるためにせざるを得なかった...のもありますが、それ以上に、してはいけないことをするときの、僕は世の中の決まりに縛られず自分軸で生きてんだよ! と世間に知らしめる高揚感、また、"盗む" という行為には、えも言われぬ悪魔的な魅力があり、しないわけにはいきませんでした。
如何にうまく盗むか。それが、少女がこの世に生を受け、初めて見つけた生きがいだったのです。
しかし、決して実入りが良いわけではなく、過酷な路上生活が長く続くはずもありません。ある日、ヴィオーラは肺炎に罹って死にかけているところを、かつて長きにわたる苦難の末フランス兵の屍山血河を成した町から仕事のためラヴェンナを訪れていたアンに拾われ、更生の道を辿らされ...辿ったのでした。
それから十年。ヴィオーラは幸せに暮らしながらも、昔の、あのスリルに満ちた生活をどうしても忘れられずにいました。
確かに在った、夢のような日々。でも、このまま誰からも忘れられて、最後には自分も忘れてしまうのかな...
そう思ったヴィオーラは、もともと文章を書くのが好きだったので、昔の経験をネットに晒して自慢するため、note の街を訪れることに。それから一年数か月後、事件は起こりました。彼女はこの街で韻文と出会い、そして衝撃を受けたのです。なぜなら、韻文こそが完全犯罪そのものだったのですから!
これがどういうことかというと... 以下が、ヴィオーラの考える作詩の定義です。
作詩とは、韻律を主とした規則に縛られた状態で、様々な技を用い、自らの表現したいもの・ことを自由に表現すること。全てが意図したとおりになされなければならず、「偶然」があってはならない。
そして、この文章の『作詩』を "完全犯罪"、『韻律』を "法律"、『表現』を "入手" に置き換えると、彼女が考える完全犯罪の定義になるのです。これはもう "韻文=完全犯罪" と言っても過言ではありません。
事実、韻文と出会い、自らも詩を作るようになってからというもの、ヴィオーラが以前ほど昔に思いを馳せることはなくなりました。
そして、先月。いつものように note の街を歩いていると、今度は『引歌』と出会ったのです! 秒で興味を持った彼女は、
「引歌について調べて、紫式部を完膚なきまでに叩きのめすほどの『若紫』パロディを書こうっと!」と、出勤前に関連書籍を買って読んでいたらバイトに遅刻したり、東京都立川市にある国文学研究資料館へ足を運んだりしたのでした。
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すると、どうでしょう。引歌、延いては本歌取りが、遊び半分でするものではないということが分かったのです!
つまり、引歌や本歌取りの方が、スリよりもずっと "盗みの技術" を見せつけられる余地があります。こっちの方が、おしゃべりに夢中になってるシニョーラのカバンから財布を抜いたり、ドラッグ売買のいざこざに乗じて金を掠め取るより全然おもしろいだろ。
...こうして、風呂で歌うたびにアンから「なんだその音程は! ちゃんと譜読みをしろと何度言えばわかるんだ!」と怒られる、どう考えても散文派のヴィオーラは、引歌という技があれば、韻文のみならず、パロディや日記、エッセイでも完全犯罪的表現ができることに気付かせてくれ、また、"如何にうまく盗むか" について、より深く考えるきっかけとなったこちらの記事[↓]に、心から感謝したのでした。
...ちなみに、僕は15歳のとき、26歳の女性と付き合っており、「君をわたしの理想通りに育てるから」と言う彼女から、「紫の上」と呼ばれていました。
2025年3月1日(土)
[詞書]もうすぐイタリアへ出発する。
おみやげは いい日本茶と 三笠山
いや月三笠 のほうがいいか
横浜の自宅にて執筆