
外国暮らし
「尿路結石...?」
早朝。横浜の実家からイタリアにいるアンドレアとZoomを繋ぐ。
僕が眠っている間のできごとを報告する彼の口から聞き慣れない病名が飛び出したので、思わず復唱した。
「...に、ならないように、毎日レモン半個分の果汁を飲むよう医者に言われた」
「お前それ3本目の缶ビールを開けながらする話か? 医者に言われたってことはそうなる可能性があるってことだろ。今ネットで調べたんだけど、尿路結石って世界三大激痛の一つじゃん。ビールはよくないって書いてある... おい、それ飲むな。医者に言われたんだったらレモン汁飲めよ!」
「でも、もう開けちゃったから。やめるのは明日からにするよ。あ、kaeの新着記事が上がってる」
※この記事(上のリンクの記事ではなく、今あなたが読もうとしてくださっているこの文章)は、日本人の僕とイタリア人の友人アンドレアがイタリア語で交わした会話を、日本語に訳したものです。
ほぼ会話のみで構成されているので、どちらの発言であるかを明確にするため、僕の台詞にはL、アンドレアの台詞にはAを、「」の前に付けてお送りしたいと思います。
L「今月は『欧米の旅』だって」
A「...ということは、アメリカについても書かれているのか。この前の “アメリカGoogleマップ旅行” 、楽しかったな。いつか絶対チャールストンへ行こうな」
L「うん。なぁ、この本の作者、夏目漱石に通信教育してもらったんだって。すげぇな」
A「夏目漱石って『Io sono un gatto』を書いた人だっけ?」
L「そうそう。おまけにパートナーは英文学者かつ能楽研究者で、長男はイタリア文学者だって」
A「Chi si somiglia si piglia...」
L「それな。つまり、お前も犯罪者っていうことだ」
A「なんだそれ」
L「べつに。ところで、『弥生子がヨーロッパを旅したのは、夫の豊一郎が日英交換教授として1年余り渡欧するのに同行したから』とのことだけど、僕は留学生として1年以上イタリアにいたな」
A「...それは犯罪じゃないだろう。書類は全て本物だし、滞在が1年以上になったのは件の感染症が原因で...」
L「まぁ感染症の流行はただの偶然だけど、本物の書類を入手する過程といい、大使館に凸って話をつけたことといい、マフィア的なものを感じる...」
A「『すべての民族や国家が、それぞれの芸術や文化をその特殊な形のまゝ認め合い (…) 賢こく認識することによって、世界の文化はますます豊富に美しくなりまさることを信ずる』...」
L「WWW WWW WWW」
A「...それはともかく、『『欧米の旅』は、生活人としての弥生子の記述にもあふれています』だって。君みたいに、日記的なことも書いたのかな。まぁ、彼女と違って、君の視点には鋭いものなんかないけど」
L「...さらっとディスるな。ねぇ、ここにさ、『ローマ大学で息子が口頭試問を受けるのに立ち会った』って書いてあるじゃん? 親が子供の試験に立ち会ったりするんだな。お前も僕が講義とか試験とか受けるとき、いつもついてくるけど... それって普通じゃないと思ってた」
A「普通だよ。そもそも俺が金(授業料や受験料)を払ってるのに、どうして一緒に行ったらいけないんだ。それに、俺には何があろうと君を守る義務があるんだよ。お母さんから大事な息子を預かっているんだから。ほら、kaeの記事にも『(弥生子が)外国で不自由に暮らす息子を思って泣いてしまう』って書いてあるだろ。女性を泣かせるわけにはいかないからな」
L「あ、お前が僕に対して過保護なのって、僕の母さんのためなんだ?」
A「...ところで彼女、最近お父さんとはどう?」
L「...『どう』って?」
A「いや、なんでもない。とにかく、君のお母さんに心配をかけたくないんだよ」
L「あぁそう。だったらさ、お前よく『言うことを聞かないと昔のことを洗いざらいお母さんに話すからな!』って僕を脅すけど、絶対するなよな。小さな僕が寒空の下で夜を明かしたことを知ったら、あのひと泣くと思う」
A「そうか。じゃぁそのことは言わないよ。それで脅しの材料がなくなるわけじゃないし。君には数えきれないくらい前科があるからな。今まで同様、俺に逆らうときはよく考えたほうがいい」
L「...なんで睨むんだよ。今はべつに逆らってないだろ... あ。『こぼれ話』に味噌のことが書いてある。僕は食べ物に対する順応性が高い方だけど、イタリアにいると味噌汁と中国茶(特に鉄観音。めちゃくちゃ美味い)だけは恋しくなるんだよね。この記事に載ってる味噌は見たことないな。『米味噌と麦味噌のあわせみそ』... なんとなく健康に良さそう」
A「その下の写真は味噌工場? ん...? これ...」
L「ぅわ、これkaekoikさんだ! 昔からこういう顔してたんだ...今と全然変わんねぇじゃん!」
A「kaeって子供だったのか...?」
L「いや、だから、これ昔の写真だってば。『弥生子が亡くなった翌年には、生家の一部を改装して彼女の文学記念館が開設』... Wikipediaによると弥生子が亡くなったのは1985年だから、文学記念館の開設は1986年。Kaekoikさんがここを訪問したのがその翌年... つまりこの写真は1987年に撮影されたっていうことになるね」
A「...俺の生まれた年だ。そのとき既に子供だったってことは、kaeは俺より年上なのか...?」
L「...やっぱり分かってなかったんだな。Kaekoikさんには大学生の娘さんがいるって何度も言ってんのに」
A「だって俺にも24歳の子供がいるから」
L「僕はお前の子供じゃねぇよ」
231101