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書評

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読書記録、しっかりした書評からメモ程度まで形式は統一していません。ネタバレ多。
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2024年1月の記事一覧

分断の時代に聳え立つ―九段理江『東京都同情塔』

概要 第170回芥川賞受賞作。ザハ・ハディドの圧倒的に美しい、東京五輪の競技場が、アンビルド(un-build)ではなく、出来上がってしまったifの世界にこの物語は始まる。そこでは新宿御苑に新たな塔が立つ。その塔は犯罪者を「同情されるべき人々」として厚遇する、斬新な価値観に基づく建築だった。「バベルの塔の再現」という字句から始まる『東京都同情塔』は、その塔を見据え、実際に設計・建築する女性建築家を主な語り手としている。バベルという涜神によって言語がばらばらになる、その現象と

コロナ禍という日常を生きた人々へ―カミュ『ペスト』(宮崎嶺雄訳)

コロナ禍のとき、ものすごく売れた本で、その時は反骨心で読まなかったが、正直後悔している。ここに書かれている疫病禍の記述は、もはや何かの象徴や寓意、また虚構といった薄さではなく、実感の厚みをもって感じられるのである。弛緩した、けれども恐怖によって緊密になった時間への感覚、愛への途絶など、ウンウンと頷ける描写が間断なく綴られるのだ。滔滔と、かつ読ませる文章が続いてゆく。箴言も訓戒もさまざま、異なる立場から主張が入り乱れ、疫病下の混沌たる、陰惨たる有様が浮かび上がるさまは見事。そこ

読むことの深淵と、その周縁―鈴木哲也『学術書を読む』

 学ぶという行為、それは他者からの知を享け入れ、分かりにくいもの(=自己)と対峙しながら、同様に分かりにくい世界へ向かって知を照射する試みである。そのさなかでわれわれは専門という言葉で飾られた偏った狭い門をくぐり、ぐんぐんと深い穴へ這入ってしまう。  鈴木哲也『学術書を読む』においては、そもそも本を読むと言う行為について「考える」ことにはじまり、専門外の学びを得る本を「選ぶ」技術を、著者の読書から具体的に考察し、さいごに「読む」ことの意味とテクニカルな側面を示唆している。

触れないこと、触れそこなうこと―絲山秋子『海の仙人』

 宝くじに当選したら、どうしようか? 他言してはいけない、とか、会社を辞めてはいけない、というのはよく言われる。この物語の主人公は、一つ目をほぼ守り、二つ目を大胆に破る。そのせいかはわからないが、物語のさなか、恋人に死なれたり、落雷に撃たれたり、手ひどく痛めつけられる。  デパートで働く河野は宝くじで1等が当たり、会社を辞め、海の美しい敦賀で悠々自適の暮らしを謳歌している。そこにあたかも旧友のごとく自然さで「ファンタジー」と名乗る役に立たない神様が現れ、彼に恋する2人の女性