シェア
経験を言葉にすること、それはその細部において他人には計り知れないほどの重みを持つ。多かれ少なかれ、それは文章を理解しながら進んでいかなければならない「読む」ことの行為者を圧迫する。ときに「訴求力」と呼ばれるその圧力に、この作品に関しては、作者も拉がれているのだ。 難病を抱える40代女性の視点をとって描かれる今作は、現実世界と、ネットにおける描写が混在する。現実において描かれる細部から、彼女が背負うものが否応なく立ちあがる。腹のタオルケット、人工呼吸器、痰の吸引カテー
失うことの痛み。過去という痛苦。「時」はそれを無暗に癒やしてしまうのだろうか。そして、その治癒は果たして「正しい」のだろうか。 漱石の「硝子戸の中」(1915連載)に興味深い述懐が眼を惹いた。それは或る女の悲痛な生きるのもつらい、という恋愛の記憶を聞く場面。語り手は「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」という言葉を思いつくも、それを引っ込める。現代から見てもその解決策はあまりにも投げやりで、相手を無暗に傷つける。この特異な二項対立、生きるか死ぬか、という使い古