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序 文学とは何か、といったタイトルの著作は多々あり、名のある文学者たちが挑んできた難しい領域であることは承知している。今回はこのシンプルな題名で、自分なりに文学について考えていることをつらつら書こうと思う。 前提として、この文章の著者であるぼくは、この春から大学院生になる23歳の男である。文学を学び始めて半年といったところのほぼ門外漢ではあるが、初心に筆を取って、書いてみることから始めようと思うのだ。自分の文学観を記録するという意味でも、いいかもしれない。そういうのっ
序 オンラインの世界って実はいつも明るくって、黎明の夜は来ないって、僕は信じてます。だから、こんにちは。 noteを初めて使って、文章を書いてみようと思います。自己紹介代わりの、これからこの無尽蔵の電子の海へ漕ぎ出す、一艘の帆船を送るような鮮やかな気持ちで。 「自分という色彩」のはなし 「永いこと家にこもっていると、多分旅行とかに行くよりずっと自分のことが分かるようになるんじゃないか」というようなことを、最近耳にした。たしかに、家にいると物理的に鏡を見る回数も多くなるし
序 人の自由な移動と行動が規制され、以前より”気を遣う”ことが求められるようになった。デマも流行したし、生活必需品の不足も問題となった。僕達の生きていた日常なるものの脆さが図らずも詳らかになってしまった。核兵器よりウイルスの方が、文明を亡ぼすのに優れているのではないかと思うくらいに。 僕はというと、ほとんど何も変わっていない。もともと移動も頻繁にする方ではないし、人の多いところは好まないし、どちらかというと家で本を読んだりゲームをするのが大好きな人間だからだ。客観
序 受動的な気分が続いていて、何も書く気になれなかった。そして、追い打ちをかけるように38℃の熱が出た。身体の平衡とともに、ぼくの創造はどこかへ奪い去られてしまったのではないだろうかと思うほど、何も書けない、浮かばない日々だった。下手の横好きでたまに詠む短歌や詩も、ぱったりと書けなくなっていた。 だから、本を読んだ。目的もなく、文字の海を、思想の海を、そこに揺蕩う人間の海を、彷徨していた。 他者の言葉、他者の感受性 いつだって、自分を自分としてしゃんと立たせてくれる
序 無数の蛙たちの声のなかに溶けていくような夜が、僕のそばにあります。こんにちは。今は故郷とは違う地で一人で暮らしておるわけですが、ここに来るまでずっと、夜と静寂は一つの概念であると思っていました。こんなにも賑やかに彩られる夜があるとは、やはり、異なる場所で生活するのには興があります。 「実用性」のはなし 窓の外を眺めると、まずは派手な彩色の居酒屋があり、瓦屋根の一軒家の数々、そして緑の山々が広がる。一望に思うことをひろげることにする。 設計され、思うまま作られた、